Thursday, December 13, 2001

名前

ちょっと前のニュースだけど、子供が誘拐されて無事に保護された
事件があった。で、その子供の名前が「騎士」と書いて「ナイト」
君だった。

おそらくこのナイト君の両親は「外国の人も発音できるように」と
考えて命名したのだと思う。このコンセプト自体はけっこう古くか
らあると思うし、良いことだと思う。先月、友人のアメリカ人男性
に子供が生まれた。奥さんは日本人だからその子供は将来にわたっ
てアメリカと日本の両方にが生活の場となると思う。カレンと名付
けたのだけど、理由は日本人もアメリカ人も発音できて両方の国で
通用する名前だからとのこと。

この「通用する」ということが大切なのだと思う。カレンという響
きは、日本語では「可憐」から連想される意味を持つし、アメリカ
では名前として使われているのだから、何かしらのイメージはある
のだろう。日本人に外国風の名前をつけるのではなく、「通用する」
名前をつけることが大事なのでは?とナイト君の両親に問いたい。
だいたい、騎士と書いてナイトでは、日本語としてなんの意味も持
たないではないか。さらに言ってみば、外国人の前で自己紹介の時
に、仮に名字を田中としよう、「Hi, I am Naito Tanaka」ってのは
どーよ。逆に外国人から怪しがられるぞ、きっと。

それぞれの国には、それぞれの国らしい名前がある。外国の名前を
つけることと、外国でも憶えてもらえる名前は全く似て非なるもの
ではないでしょうか。
さて、田中騎士君、アルファベットで名前を書くとき、あなたは
「Naito Tanaka」ですか、それとも「Knight Tanaka」ですか?


*注
人名についての私的な意見を述べたまでであり、僕が不可解に
思う一例として「騎士」を取り上げました。ナイト君本人と
その両親を誹謗中傷する目的ではありませんので、その点は
ご理解ください。

Tuesday, November 27, 2001

no more 携帯のリコール

おそらく、ほとんどの人が予想していたであろうことが起き
てしまった。新しい携帯電話の機種が発売されると、決まっ
てリコール騒ぎが起きることは、もはや毎度のことである。
しかも不思議なことに、ある特定の携帯電話事業社でセけ
起きるのだ。

その会社の、2001年11月26日付けのリリースによると、
「ある条件下で作成された一部サイトに接続した際、フリー
ズしてデータが削除されます」との発表が成されている。こ
の「ある条件下」について、CNET等のニュースサイトが詳細
に報じているが、どうやら「大容量のデータを分割して受信
するサイト」のことらしい。普通に解説すれば、「ファイル
サイズや送信量の大きいデータ、つまり音声や映像等を配信
するサイト」である。これはまさに第3世代携帯電話が売り文
句にしているサイトではないか。
巨額の開発投資、宣伝広告費を投入したサービスで今回のリ
コール騒ぎが発生したことは、もはや同情に値する。

また、リコール騒ぎが起きるたびに、原因を「ソフトウェア
のバグ」と決めつけている。なぜこうも度々ソフトウェアの
バグが残った状態で製品が発売されるのだろうか。

ソフトウェアの開発は、通常、要件定義、設計、開発、テスト
のサイクルで開発される。この中でも、要件定義とテストが
最も重要な作業に当たる。どんな機能を実現するソフトウェ
アを作るかを「定義」し、それが確実に動作することを「テ
スト」するのである。
ところが、携帯電話産業におけるソフトウェア開発は、この2
点、「要件定義」と「テスト」がお粗末だと聞く。
というのも、要件が五月雨式に発案され、いつまでも仕様が固
まらず、しかし開発スケジュールや予算は決まっているので、
とりあえず設計や開発に着手せざるを得ず、開発中にも新規の
要件が追加され設計・開発期間が延長され、結果としてテスト
期間が短縮・省略されてしまうのだ。
多くのアイデアがいくつも湧きだし、要件として追加されるこ
とは決して間違いではない。ただ、要件がダラダラと設計・開
発に組み込まれていくことが問題であり、これはプロジェクト
管理能力の欠落といわざるを得ない。
また、そもそも開発期間が、「市場の急速な変化に対応する」と
の大義名分のもとにタイトな設定になっている点も見逃せない。
これで何人の開発担当者がバーンアウトしていることか。

さらに、ここ数年、ソフトウェアにバグが存在することを肯定す
るような風潮もある。「3回程度のメジャーバージョンアップが
なされないと使い物にならない」とか「複雑なロジックで成り立
つソフトウェアに100%を求めてはいけない」などなど。
これは全く論外な意見だと思う。家電や自動車さえ機器の中に
コンピュータを搭載し、OSやアプリケーションが稼働している。
一度事故が起これば、人命に関わるだけに、家電や自動車の品質
管理能力は非常に高い。一方、パソコンや携帯電話等の機器は万
が一事故が起こったとしても、人命に関わる危険性は低いため、
品質管理がないがしろにされる傾向が強い。


早期の市場投入による成功者利益、バージョンアップでの買い替え
需要での儲ける仕組みなど、企業にはいろいろな事情があるにせよ、
せめて最低限の品質が保証され、確実に使い物になる製品やサービ
スを望むことは消費者のエゴなのだろうか。
大々的な宣伝をし、鳴り物入りで投入された製品やサービスであれ
ば、消費者サイドの期待感は高まる。この期待感にはこたえてもら
いたいものだ。

Sunday, November 25, 2001

二足の草鞋

経営と技術の両方を知っている人材だとか、戦略と実務の両方を
語れる人材が必要ということは、もう何年も言われている。僕が
社会人になったらも良く聞くし、何十年も前に書かれた本にも度々
登場する。
こうも長くの間「必要だ」と言われ続けているのはなんでだろう。
そのニーズを満たす人がいないのだろうか。

そんなことはない。実際、複数の専門領域を持つ知り合いが何人
かいる。天才的なプログラマでありながら会計士だったり、グ
ロービスに通う医学生、文学部出身のコンサルタント、生物学修
士の新聞記者...。こういう僕自身も、複数の専門領域を持って
いる。

では、他に理由があるのではないか。僕は2つの理由があると思う。

まず一つ目、二足の草鞋を履く人がいないのではなく、そういった
人が活躍できる組織や職種が少ないことが一番の理由だと思う。
社会では、何か一つの職業を選ぶ必要がある。そしてそれは往々に
して、特定の職務や専門性を求められることが多いわけだ。経営規
模の大小を問わず、組織という物は概して縦割りだ。柔軟性があっ
て、オーバーラップしている組織もあるが、それぞれの組織は明確
な責任範囲があるという点において、とても閉じた状況に置かれて
いる。

二つ目の理由は、技術者の地位が低いこと。
技術を語る経営者は求められるが、経営を語る技術者は煙たがられる
ことが多い。コンサルティングの仕事を通じて知り合った会社の多く
は、そんな社風を持っていた。製造業や研究開発が基幹業務の会社で
あっても、営業、マーケティング、経営企画、財務等の部署がいわゆ
る出世街道なわけだ。
そして、それらの部署にいる人が技術に詳しくないことは許されるが、
研究者や技術者が財務諸表を読めないと馬鹿にされる。

そういえば、二足の草鞋って言葉は、良い意味だけではないし、二兎
を追うもの一兎をも得ずともいう。
果たして、複数の専門領域を持つ人材、俗に言うπ型人間というのは
本当に求められているのだろうか。

Wednesday, November 14, 2001

似たもの同士

友達とか知り合いってのは、どこか自分に似ていたり、共
通の趣味があったりするものだ。そもそも、知り合うきっ
かけが趣味や興味を基にしていることが多いわけだから、
当然といえば当然かも知れない。
しかも、学校、バイト、就職とかっていうのは、偏差値、
年齢、居住地域とかで輪切りにされて、とかく均質な人間
が集まりやすい構造になっている。似た価値観、考え方、
育ち、趣味・興味とか。
日本はモノカルチャーだし、ほぼ単一民族だという文化的
背景も影響していると思う。
「縁」とえ「巡り合わせ」ってのは、こんな輪切りの構造
に多少なりとも左右されているのかもしれない。

ところが、なんだけど。輪切りでありつつも、例えば、僕
の印象というのは、学生時代の同級生、lomoのメンバー、
会社の同期、家族とかで違っていると思う。それぞれの場
の中では、僕は違う人間として認識されていると思う。
学校の同級生は学校での僕をよく知っているだろうけど、
家の中での僕や、バイト先での僕はよく知らないはず。
友達や知り合いの意外な一面を知ったときの意外さは新鮮
な驚きだったりする。

似たもの同士でありながらも、意外さと多様性は常に持っ
ていたいものだ。同じような価値観や話題に終始する人と
は長くつき合えないと思う。きっと飽きてしまう(そもそ
も僕は、ベッタリとした人間関係は好きじゃない)。

多様性はパワーなのだと、つくづく思う。類似性と多様性
のバランスが気さくな間柄を保つ秘訣だと思う。

/**おまけ**/
最近のマーケティング手法は、類似性だけで市場や顧客を
捉えることが多い。「セグメンテーション」を盲信しすぎ
ているように思う。セグメンテーション自体は有用な手法
だし、僕もよく使う。けど、市場や顧客を分類する軸とい
か、視点はもっと多様だと思う。企業が定量化できる消費
額や来店頻度、商品認知度などの指標では、顧客や市場の
ごく限られた部分しか捉えられないはずだ。
ではどうするか、論文執筆中です。

Thursday, November 01, 2001

タイミング、日本語にすれば潮時か

会社を良くすることがコンサルタントの仕事だけど、それは
決して正義の味方ではないのだ。
コンサルタントは、あくまでクライアント企業の利益のため
の存在だ。クライアント企業の利益が向上するのであれば、
例え消費者をだますやり方であっても、「新しいマーケティ
ング手法」と称して提案する。
社員のためでも、消費者のためでもなく、全ては企業の業績
のため。

確かに、企業の業績が上がって、株価が上がれば、資金が潤沢
になるから、株主も、社員も、消費者も富の再分配の恩恵を
受けられる。初歩的な経済学や社会学によればね。
それはそうなんだろうけど、どうしても、消費者側の立場や、
現場で働いて苦労している人に目が向いてしまう。そもそも
このサイクルがうまく回っている例を知らない。少なくとも
国内では。

持続的な競争力のある戦略を思いついたとしても、それが社員
に重責や長時間労働を課してしまったり、消費者をだまして
暴利をむさぼるものではいけないのではないか。
社員、消費者、株主がみんなハッピーな会社を、僕は知らない
し、それを実現する戦略も思いつかない。

こう考えるようになったので、僕はもうコンサルタントとして
はやっていけないのではないかと思ったりもする。
深刻に考えずに、のらりくらりとやっていけば、今の会社でも
そこそこ成功するかもしれないけど、それでいいのかどうか。
ちょっと大げさだけど、残りの人生、それで堂々と胸を張って
生きていけるのか...。

世のため人のため、そんな仕事がいいかもしれない。

Wednesday, October 24, 2001

適材適所

どうも、気になり始めたことがある。
最近の日本の学生や会社員の多くが、ノートPCが入ったカバンを
もって、PCを持ち歩いている。これって異様な光景だと思うよう
になった。
スーツ姿にショルダーバッグ。スーツはヨレヨレになって、小さ
いPCの小さいキーボードで肩こり。これは健全とは言えない。少
なくとも僕はイヤだな。

というのも、最近の生活では、広い机にデスクトップPCが置かれ、
当然、フルピッチのキーボード。机と椅子の快適さも手伝って、
肩こりなんて全くなし。聞いてみると、こちらでは、家でもデス
クトップを使っている人が多いようだ(注:スイス滞在中に記述)。
そんな環境にいるので、余計に感じるようになったのだと思う。

外国人は比較的指が太いからデスクトップなんだなんて観察は
もはや説得力がない。手のひらサイズのパームパイロットはア
メリカからの製品だ。
もっとも、日本は会社の机も、家も狭いから、省スペースを理由
にノートPCの人気がある理由はわかる。仕事の都合で仕方なくPC
を持ち歩く必要性があるのもわかる。転勤や海外勤務等の事情も
しかり。
けどそれは、あれほど多くの人がノートPCを「持ち歩く」理由に
はならない。何か他の理由があるのではないか。

おそらく、「これだけで全てことが足りる」という発想に安心感
や信頼感を感じているのだと思う。それが理由であると。
しかし、この発想が適切かどうかがわからないのだ。「全て○○
で」という発想は、時として、使い分けや補完しあう発想や形態
を否定する可能性がある。たしかに「大は小を兼ねる」のだが、
「帯に短し襷に長し」になっていないだろうか。
「適材適所」、聖徳太子のころからの言葉が廃れつつあるように
すら思える。
いかがでしょう。

/**メディア論、技術面からの補足**/
多くの人間がPCを「持ち歩く」状況を解決するためには、「一つ
のハードで何でもできる」でなく、「どんなハードででも、同じ
コンテンツにアクセスできる」状況が必要だ。そうならない限り、
「同一コンテンツの複数メディアへの冗長化」という現象が起き
てしまい、社会的には、流通コストや管理コストの増大を招く。
ハードウェア的には、機器とドライバの2レイヤーに機能を分割し、
バージョンアップや動作環境変化に対応するという、現行のアー
キテクチャは汎用性と特化性を両立するためにはベストソリュー
ションであり、上記の状況を解決できるレベルにある。
しかし、ソフトウェアエンジニアリングが、特定の場所にインス
トールされたアプリケーションと、それによって作られたデータ
の2重構造から抜けでない限りは不可能。
これらの制約(特にソフトウェア面)がある限りは、いくらネット
ワークが太くなっても現状の解決は期待できない。

Monday, October 22, 2001

ブロバン社会

ブロードバンドです。今年になって、日本はようやくADSLが広まりまし
た。ヨーロッパ、アメリカ、東南アジアでは当たり前だったことが、よ
うやくって感じですが。今までのモデム回線環境が割高だったせいも手
伝って爆発的な勢いで伸びています。
いざADSLを使おうと思っても、やれ基地局からの距離だの、やれプロバ
イダが対応していないだの、回線工事に2ヶ月かかる、1年以内の解約で
は解約金が必要、などの不便はおいといて、今回の本題。

FTTHがブロバンの本命といわれているけど、そうかなぁ。既存回線をそ
のまま使えて、初期投資も数万円で済むADSLが本命だと思う。ここでい
う「本命」の定義は、「消費者にとって導入ハードルが低い」こと。
たしかに理論的には光より速い速度は存在しないわけだし、ファイバー
内を通すことで信号劣化を防ぐという技術的な優位性で本命視されるこ
とはわかっている。
けど、それは普通の人にとっての「本命」ではないのだ。

で、さらにだ。ADSLと組み合わせて、街中のいたるところにワイヤレス
LANのベースステーションを設置しまくる。この状況が僕はベストだと
思っている。
ベースステーションは知ってのとおり、「.11b」に対応したWiFi規格の
ものが多くのメーカーから2~3万円で発売されている。ユーザーが必要
とするのは、ワイヤレスLAN接続用のPCM/CIAカードのみ。1万円。
ベースステーションは、大きさだって弁当箱程度のものだから、ビル、
駅、電柱、高速道路の高架、いたるところに設置できる。で、それらは
既存の電話回線でADSL接続になっている。
ベースステーションのESS-IDをJ-NetとかeYUSEIとかの名前で統一して
おけば、接続エリアが変わっても接続し直す必要もない。

ベースステーションの購入、設置、メンテはNTTや郵政省が担当。ADSL
による接続料金はユーザーからいままでのようにISP経由で月額徴収さ
れ、一部が通信業者にも還元される。
FTTHよりADSL+ワイヤレスイーサネット。そっちの方が2005年までに
高速ネットを敷き詰める「e-Japan」構想なんかより、安くて早いと
思うんだけど、どうだろう。
ちなみに、この意見もMBAの授業中に言ったんだけど、誰も理解して
なかったな。それほど暴力的な意見だとは思わないんだけど。僕の
英語がつたなくて伝えきれなかったのか...。

もはやネットなんてインフラ的な感覚で使われているわけだから、工事
代や機器販売、加入権でもうける仕組みから、「ネット社会の推進役」
として機能してもらいたいのだよ、NTTや郵政省には。
無理かなぁ。

今回のテロ騒ぎで安心しているのは民営化論が影を潜めた郵政省、料金
値下げや再分割への議論が消えたNTTかもB霞ヶ関も永田町も、それどこ
ろじゃないんでしょ、きっと。

このページを読んでる通信業関係の人、どう思う?フィードバックくだ
さい。

Friday, October 19, 2001

3G携帯電話

/**
以下の文、オリジナルは97年の12月です。ある会社へのコンサルティン
グをやっている頃に思っていたことです。「正論」にも2000年の初め頃
に書いたことがあるけど、ウィルスによるサーバークラッシュで消えて
しまった(googleのキャッシュでも救えなかった)ので最新の状況を踏
まえて加筆の上、再掲します。
予想以上にと反響があった内容だったし、さらに、最近になってようや
く普通の人も実体験として理解できる状況になってきたので、良いタイ
ミングかと。
**/


何やら、雲行きが怪しくなってきた第3世代(3G)携帯電話。怪しくなった
理由は大きくわけて3つだと思う。「技術先行の実験的体質」と「顧客軽
視」、そして「電話の本質を無視」。

1.技術先行の実験的体質
メールや通話なら今のデバイスで必要十分だ。これは現行の携帯利用者で
あればわかっていると思う。なのに、3Gが宣伝している機能の多くは、必
要性に首を傾げるものばかりに思える。
テレビ電話としての機能を持つデバイスが「ビジュアルタイプ」と称され
て発売された。数千台は出荷されたようだけど、あくまで出荷で販売台数
はどれほどかな。そもそも、誰が携帯電話の小さな表示部で映像を見たが
るのかがわからない。おそらくリードユーザーは風俗関係者であることは
容易に想像できる。あの業界は低品質でも映像が命だから。そもそもテレ
ビ電話は既存の固定電話でも実現できている。端末が高い、帯域が狭い等
の理由もあるけど、普及しない最大の理由は、人々が求めなかったからで
はなかったかな?
ビデオ・オン・デマンドなんてかつての死語が復活してきているけど、そ
んなにビデオ見たいのか?通信料払って、あの小さい画面で。レンタルビ
デオ借りて、家で見てればいいのでは?そもそも「やっぱり映画は大画面
の方が迫力があっていい」という理由で、当初の予想に反し、映画館はビ
デオに駆逐されることなく残っている。
次に財布としての機能。携帯電話を操作して缶ジュースが買えるからなん
だっていうのか。僕なら財布から120円取り出して買うね。小銭がなければ
お札で買うよ。お金がないときは買えないじゃないかだって?そこまで貧
乏じゃないでしょ、携帯電話持ってる人なら。
携帯電話で切符がわり。アイデアとしては良いと思う。けど、残高照会や
決済のために携帯電話から金融機関にデータを送るわけだよね、じゃぁ、
地下鉄はダメだね。圏外だから。
財布を持ち歩く必要がなくなるという主張にも説得力がない。そんなこと
あるはずないと思うんだけど、世の中が貨幣経済で成り立っている限り。
地域通貨に移行するって言うなら話は別だけどね。
死語だけど、マルチメディアってのは、メディアが増えることであって、
一つで何でもってことではないのだ。
ただ一社だけが先行して、しかも世界の同意を得られなかったW-CDMAなん
ていう独自規格にこだわっている状況も不安。ノキア、エリクソンモトロ
ーラが端末事業から基地局事業に移行して、J-PHONE、オレンジ、ボーダー
フォン、KDDIが3Gを延期しているのには理由があるのに。

2.顧客軽視
個人的には、これが一番の問題だと思っている。そもそも、3G電話を先行
投入している通信会社Nの通話料金は高い。試算してみると、他の通信業者
KとかJに比べて月額で3000円~4000円程度高い。もう少しわかりやすく書
くと、Nは月額請求額が12,000程度、KとかJは8000円。あ、そうかもって
思うありがちな数字でしょ?友達に聞いてみてよ。
で、3Gで通信速度が384kに「上がる」ようだけど、それもどうかなぁ。
遅すぎる。しかも月額1万円以上のコストを課金した上ででしょ。ADSLの
普及で家庭でもLANなみの数メガバイトの帯域が「あたりまえ」になのに、
しかも月額2000円から3000円で。
通信速度をあげたにもかかわらず、いまだにパケット課金制というのは
ボッタクリに近い。通信速度が速くなれば、同量のデータを短時間で送
れる。逆に考えると、通信時間が減るのに料金は同じということだ。しか
も最近は画像のようないわゆるリッチコンテンツが多く、パケット量は
数百倍に増している。儲かるはずだ。
音声通話は発信者が料金負担なのに、メールは送受信両者負担ってのも
おかしい。使っている設備は同じなのに。というか、間にインターネット
を介すなら安くなってしかるべきなのに。
こういった顧客軽視の姿勢に加え、物言わぬ消費者側の責任も大きい。
「電話番号を変えたくない」だけの理由で、月に何千円も余計に払い続
けている人が多いことには驚く。「しょうがない」と諦めている。決して
消費者はかしこくなっていない。

3.電話の本質を無視
3Gとかいって上辺の化粧直しをするだけでなく、途切れない通話、高品質
な音声、世界中どこでも使えるといった電話しての機能を満たす方が先で
はないだろうか。日本で買った携帯電話、なんで海外で使えないんだろう。
他の国や地域では当たり前の用に実現されていることなのに。
携帯電話はあくまで「電話」なんだけどな。

新しい技術が出始めると、実験的な面だけが強調される向きは理解できる。
実験と検証の繰り返しは必須だ。けど、このままでは3Gは、かつてのハイ
ビジョンテレビ、最近のISDNと同じ結果になるんじゃないかな。初期投資や
設備の償却がおわらないうちにすたれていく構図。

デバイスとかサービスだけでなく、もっと社会的なことにも目を向けても
らいたい。購入時の初期設定でマナーモード、もしくは小さめの着信音量
になっているとか、ちょっとした気配りが欲しい。

ただ、日本の消費者があまり賢くないこと。これが3Gにとって唯一の救い
かも。実は、ここに書いたことはMBAの授業中にも議論で何度か言ったこ
とがあるけど、理解できている人ってあんまりいないように思う。MBAで
すらそうだから、いわんやってことかな。
だいたい、通信審議会とかに出席したことがある教授ですら、1997年にJと
Kが携帯からのネットアクセスを実現していたのに、「それって本当?」
と聞く始末だからね。

Friday, September 14, 2001

台風、テロ、梅宮アンナ

台風
月曜日、台風15号が東京を直撃した。家から1kmぐらいの所を流れる
多摩川が危険水位を超えて、ちょっとハラハラした。多摩川は、20数
年前に氾濫して、テレビドラマの「岸辺のアルバム」の題材になった。
当時は子供だったけど、断片的な映像を思い出した。そうはいいつつも、
今月末にラフォーレ原宿で開催する写真展の素材になるなと思って、
DVカメラを片手に車を運転していた自分には呆れる。

株価
1万円を割り込んでます。けど、日常の普通の生活にはなんの影響も出て
いません。今のところ。日本の消費市場がいかに株式市場と連携してい
ないか、そして日本の株式市場が本来の機能を果たしていないかが露呈
している。経営者、エコノミスト、コンサルタントにはこの点をわかって
もらいたい。日本では株価上昇や株主価値最大化を目指す経営って、
しっくりこない。判で押したように株価至上主義を持ち込むのはやめても
らいたい。

NY、DC
まぁ、本当にすごい事件です。NYにいる知り合い、US在住の知り
合いの多くは無事なようです。個人的には一安心。
ただ、US本社のスタッフやNY事務所のスタッフに犠牲者がいるかもしれ
ない。顔見知りや親しかった人々が無事でいてくれればいいのだが。

今回の事件で、「主義」ってものの意味を考えてみた。資本主義、共産
主義。民主主義、社会主義、民主社会主義、原理主義。いろいろな価値
観があって、それぞれを実行に移す主義があっる。たまたま資本主義と
民主主義の組み合わせが先進国に多いという理由で、この組み合わせが
勝者、他者は途上のようにおもわれがちだけど、本当かなぁ。哲学書や
社会学の本を読んでみると、共産主義を社会のあり方の到達点と据える
論調が多い。
日本は民主主義といいつつも、実際は社会主義でしょ。地方の小規模な
自治区では共産主義的な互酬制で成り立っているところも多い。
そういえば、フランスも社会主義か。
こういうことを一度しっかりと見つめ直す必要があるんじゃないかなぁ。
何が悪で何が正義かがわからくなってきている。数の大小が善悪に直結
している。
同時に、国の概念も揺らいだと思う。「国家対国家」ではなく「国家対
テロ」だと声高に叫ぶけど、国にの定義、テロの定義ってなんでしょう。
国によるテロリズムってのもありだし、国よりも大きい集団だってある
よね。リヒテンシュタインとかバチカンなんて小さい国だぞ、けど例え
ば日本のNTTなんか、人数も持ってるお金も、そこらの小さな国より遙か
に多いぞ。

主義と思想のために命をかける集団。今回は狂気に走り、無関係の人を
まきこんだ。けど、明治維新だって、忠臣蔵だって動機は一緒でしょ。
君主のため、国のためってさ。
攻撃した集団が100%悪いの?アメリカには攻撃をうけるだけの理由があ
るんじゃないの?
今回の事件は大石内蔵助だけなの?吉良上野介はいなかったの?

そしてお約束の自粛ムード
何で日本は無関係な自粛が多いんだろう。自粛が悪いとは思わないけど、
無関係な自粛は偽善でしかない。
例えば「笑っていいとも」。火曜日は報道特番で放送がなかったけど、
翌日の水曜は放送再開。で、オープニングで「笑っていいともはNYで犠
牲になられた方々に哀悼の意を表します。黙祷。」とか言いだし、ほん
の数秒の黙祷。それが終わるといつものバカ騒ぎ。なんか違う。そもそ
もテレビ番組が、しかも日本のお笑い番組が今回の事件に哀悼の意を表
してどうする。お門違いもいいところ。じゃぁ、新宿のビル火災の時は
どうだった?えひめ丸の時はどうだった?極めつけは梅宮アンナ。
「悲しみに暮れる人がいる中、お祝い事なんてできない」とか言って、
結婚式を地味にするそうだ。式の後の披露会見も取りやめとか。なん
か勘違いしてるなぁ。今回の犠牲者はあんたの結婚式になんて興味も
何もないっていうのに。
あるいは、僕が知らないだけで、実はアンナはビッグな人だったの?

Tuesday, September 04, 2001

That's

「ITとブロードバンドで雇用創出」について思っていたけど、NewYork
Timesをwebで読んでいたらHPがCompaqを買収するなんて記事が載って
いた。WallStreetJournalにも出ていたから信憑性は高い。

で、だいたいこのテの買収の理由として「コスト削減」が挙げられるん
だけれど消費者としてはたまらないモノがあるな。HP、Compaqのそれぞ
れに良いところや特徴があって、それぞれに好きだったのにな。
しかも、ついこの間まで、「Compaqはベンチャー精神を持っています」
と喧伝していたくせにベンチャーの雄HPに売ってしまうなんて、Compaq
の経営陣は「ベンチャー=創業者利益」とでも考えて今が売り時とばか
りに売ってしまったのだろうか。

Compaqといえば、DECを買収した時もショックだったけど、今回もシ多少
なりともショックだ。カルチャーの違う会社が合併しても、うまくいか
ないことは歴史が証明しているし、最近の自動車業界の動きを見れば明
らか。HPほど社風を大事にして「HP Way」なるものまで社員に浸透させ
て、MBA取得者の就職先にも上位にランキングされているのに、まったく
違う社風のCompaqを買うなんて。

株価重視の米国型経営の前には、人的資産だの無形資産だのは無力
なのかな。会社の規模を大きくして、製品のフルラインナップと
スケールメリットを追求するなんて、そんな古典から抜けられない
のかなぁ。
で、そういう会社に限って、メルセデスとかサウスウェスト航空とかを
良い会社とかいうんだよね。市場シェアも売上も低いけど、製品の品質
と顧客の信頼で成り立っている企業が良いならそれを目指せばよいのに。

はぁ、米国型経営の集大成ってかんじだな。みんなGE化してる。会社っ
て大きければいいのか?株価があがって株主がハッピーならいいのか?
わかんないなぁ。

Wednesday, August 29, 2001

サービス重視、ブランド強化

半期決算が出そろって、どの業界も落ち込んでいるようだけど、ひどいのが
PCブームに便乗したメーカーのようだ。数千人単位の人員削減とか工場閉鎖
がニュースをにぎわしている。
で、どの企業も口をそろえたように、「これからはプロダクト重視からサー
ビス重視の戦略」、「ブランドの確立」と発表している。製品を売るだけで
なく、お客様の満足度、ロイヤリティの向上を図り、云々。
そしてこのテの転向を正当化するために持ち出されるのが90年代のIBM、
インテル、GEの経営手法である。もう聞き飽きたけど。

さて、ちょっとまて、なわけだ。たしかにガースナー、グローブ、ウェル
チといえば有能な経営者として名を馳せているけど、やり方を真似るだけ
で業績が回復するのかなぁ。IBMは、たしかにサービスでの売り上げを伸
ばしたけど、サービスの基盤となる製品の完成度が高いからこそ可能だっ
た戦略だと思う。
実際、IBMのR&Dに対する投資はものすごい。サービス重視ではあるが、それ
以上にプロダクト重視なんじゃないの?
インテルははっきり言って、サービス重視ではない。インテルはチップを
作って他の企業にOEM供給しているだけだ。顧客サポート、クレーム等の
窓口はOEM先が請け負うことになっている。典型的な「売った者勝ち」の
戦略だよね。
GEにいたっては、株価重視だけであり、斜陽事業は切り捨て、成長事業を
買収なんていう「他人のふんどし」戦略。
サービスだのブランドだのと言葉だけが流行して、本業の製品の質が下が
らないことを消費者としては願う。
日本の企業ってもとからサービス指向だし、世界的にも群を抜いているは
ずなのに、どうして海の向こうの流行に弱いんだろう。そのくせ日本の強
みは製品開発力にあるとか豪語しているし。

ま、きっと本屋でそれっぽい本を見つけて、一夜漬けで考えた戦略や談話
なんだろうな。
おっと、これを書いてる間にニュースで「ITとブロードバンドで雇用創出」
なんて馬鹿なことも言ってる。
なんでこれがバカなのかは、次回に書こうかな。

Tuesday, August 28, 2001

夏休み中に考えていること

ご存じのように、僕はいまだに夏休み中です。あと一ヶ月あります。
で、休みの間というのは、普段考えないようなことに思いをめぐらす
ことが多くて、またこれが意外に面白かったり、くだらなかったりす
るわけです。

テレビ
昼間のテレビ視聴量がメチャメチャ増えているんだけど、頭を使わずに
ボーっと見ていられる昼メロとか、2~3時間ぶっつづけでドラマの再放
送を流したり、実に低俗というか質が低いんだよね。あと、CMも個性的。
ゴールデンタイムや深夜には流されていない、いわゆる主婦向けCMが面
白い。たとえば、元アナウンサーの勘違い女、中村江里子が出ている
シャンプーのCMとかね。「好きな人のためなら...」とか「信じたってい
いじゃないですか」などと玉の輿にのった女性ならではのコメントを乗馬
シーンにかぶせているんだけど、まいっちゃいます。


語学
大学院での公用語は英語なので、先月まではドップリと英語漬けの生活
だったわけだけど、今月はあんまりというか、ほとんど日本語で生活し
ている。驚くほど落ちるんですよ、単語力が。いやいやこれには本当に
びっくり。意識して毎日接していないとダメだと実感。継続は力なりと
はよく言ったものだ。

勧誘
昼間家にいると、勧誘の電話の多さに驚く。不動産や世論調査の類が多
いかな。かっこよく言えば「テレマーケティング」とか「アウトバウン
ド」なんだろうけど、はたして効果はあるのかな。僕の場合、「親が外
出なので」とか「○○に良い物件を見つけてしまいました」とか適当に
あしらったり、あるいは「これってバイトなんですか?」と逆に質問攻
めにしたりしてしまう。
こんないい加減な答えがそれっぽく「有効回答」としてカウントされて
しまうんだよな。市場調査ってのは。仕事でも苦労したよ、本当に。
それで数千万の金額を請求したりするんだもんなぁ。犯罪スレスレかも。


株価が下落したり、嫌な事件が起きたりするけど、日本は平和だなぁ。
元バレーボール選手の大林素子が歌手デビューだもんな。で、だいたい
こういうくだらないことの仕掛け人はつんくなんだよねぇ。


さて、意外と読者が多いのこ「時には正論」、またボチボチと書いて
いきます。
バックナンバーは旧サーバー復旧後にマージしておきます。

Thursday, July 26, 2001

健全だと思う

JASDAQにマクドナルドが上々。JASDAQでの資産総額がヤフーを抜いて
1位という知らせになぜか安心する。あんなと言っては失礼かも知れない
けど、ヤフーのような会社が株式市場で幅を利かせている状況は個人的
に嫌いだった。

ハンバーガーや牛丼の値下げ攻勢の功罪が問われているけど、良いこと
なんじゃないの?僕は歓迎している。
もはや庶民の味となったマクドナルドや、一度は倒産したけど、負債も
全額返済して一部上場を果たした吉野屋にしろ、そういう会社が元気な
ことは良いことだ。

Saturday, July 21, 2001

お帰り、80年代

久しぶりの更新。ほんとにごぶさたでした。

さて、最近気になることといえば、80年代の完全な復活。ファッション、音楽、
新製品、CM...なんとも懐かしい。

そもそも、流行ってのはだいたい20年周期になってます。きっとその一番の理
由は、プランナーやクリエイターの世代交代だと思う。30歳前半になると、よ
うやく「君もそろそろ」って感じで表舞台に出始めるのが世の常。そうすると
「新しいもの」、「ひと味違ったもの」で表現しようとするから、「お、そう
いえば」と自分の若い頃を思い出すわけです。10代中頃から後半ってのは感性
が一番磨かれるし、ダサイかダサクないか、モテるかモテないかが全てだから
否応なくファッションや流行に敏感になってしまう。で、結果としてその頃の
記憶は鮮烈に残る。
最近のCMソングやファッションをみると、「同世代の人間がプランナーになっ
てがんばってるんだな」と思ったりする。
2000'sに80'sがはやり、80'sには60'sがはやってました。

さて、僕は基本的に80年代が好きです。僕は69年うまれだから、まさに10代の
日々を'80sに過ごしました。東京の地価が急騰し始めたり、バブルとか、高度
成長の集大成を見て過ごしたわけです。きっとあのころの風潮は僕の人格に影
響していると思う。
で、あのころってのは、無機的な物と有機的な物が見事に融和していたと思う。
コムサ、muji、コンクリート打ちっ放し、素材むき出しの無機質感があったから
こそファッションや風俗がむせかえるほど有機的だったと思う。僕は日本家屋も
とっても無機質だと思っている。素材が向きだしだから。けど、だからこそ、そ
こに住む人が重要になる。無機に命を吹き込むのが有機の役割。

最近、世の中や建物が無機に回帰しつつあるけど、中に住む人間がちっとも有機
的ではないですよね。薄っぺらで軽薄で重みのない人って多くないですか?
さて、どうしましょ。

Friday, June 08, 2001

なんか、変だな。

ここ数年、CD-R/Wがドライブ、メディア共に一般化してきた。650MB以上の
記憶容量、CD1枚数十円、薄い、磁気メディアに比べて劣化なし...。多くのメ
リットがあるから普及するのは当然だし、確かに便利だ。コンピューターのソ
フトはほとんどがCDで流通しているしね。

その手軽さゆえに、ほんの数十MBしかないデータでもCDに書き込んで、CDを
裏返してほんの一部しか色(反射光)が変わっていないのを見て、何となくもっ
たいない気持ちになることもある。

何年か前、やたらと環境ホルモンが囃し立てられたことがある。○○は環境に悪
い、○○は人体に悪影響を及ぼすなど、過剰なまでの反応が起きた記憶がある。
いつのまにか誰もあのころほどは騒がなくなってしまってけど、いまだに大き
な社会問題ではある。

さて、冒頭のCD。これはたしか人体に悪影響を及ぼす環境ホルモンを発しま
す。しかもかなり毒性が強い。もちろん、通常の状態ではなんら影響しないん
だけど、熱を加えた時に生じるようだ。CDに使われている素材は加工しやす
い、強度が高い、安い等の理由でいたるところに使われているので、決して
CDだけが有毒物質を放出するわけではない。AppleのiMacも本体この素材を
使っています。

便利だから、手軽だからという理由で経済性が優先され、CDと環境ホルモンの関
係なんて知らないからという、いわゆる情報の非対称性がさらに拍車をかける。

無知がいかに世の中の矛盾を招いているかの典型ですな。そしてその矛盾は「市
場の原理」という無責任な言葉でかき消されていくわけだ。けど、逆に言うと、
その矛盾やギャップによって成り立つのが資本主義だから、あるい意味避けられ
ないのだけど。

Saturday, May 26, 2001

機械的

映画「メトロポリス」を観てきた。手塚治虫氏の得意なロボットものです。
ロボットと人間の共存ってのは、SFの世界では古典的なテーマだけれど、
根強い人気というか、深いメッセージがあると思う。

アトムとか、ティマのようなロボットの登場はきっとまだまだ先のことだ
ろうけど、工業用ロボットとかを考えれば、実際にロボットと人間の分業、
協業は現実なものなわけです。ただ、工業用ロボットは自律思考が不可能
なので、SFによくあるようなロボットの反乱なんてものは起きていない。
単調な、それこそ機械的な作業をロボットに任せて工業生産の効率化が可
能になったわけだけれど、もし、未来のいつか、感情を持って、思考、判
断ができる自律型ロボットが登場して、人間に反抗こそしないけど、人間
より能力的に優れたロボットが登場したとしよう。そのとき、ロボットが
「そんな機械的な仕事は人間がやれば良いでしょう」なんて言うこともあ
り得る。機械だから、人間だからという種の概念でなく、機械的、創造的
という能力の概念での階層闘争が起こるかもね。

で、最近やたらと「知識創造」なんて不可解な言葉が出回っている。この
言葉自体は90年代前半に登場して、そのころに第一次ブームがあったわけ
だけど、となると最近は第二次ブームってことかな。人間社会とか企業っ
てのは、より付加価値を生む組織であるべきだっていうのが主な論旨。こ
の付加価値って言葉、きらいなんだよね、なんか胡散臭さの極みみたいで
さ。けど、みんながみんな創造的で付加価値を生むようになってしまった
ら、つまり頭脳で勝負するようになったら、一体誰が実働をするんだろう。
結局、資本主義である以上、少数の持てる者と大多数の持たざる者って構
図からは抜けきれないので、機械的な物の絶対的な必要性は残るんだよね。
機械的に生きるか、創造的に生きるか、これは現代の "to be or not to be"
かも。

さて、メトロポリスと同じようなテーマの映画「A.I」、スピルバーグが監
督なだけに、きっと陳腐な家族愛で終わってしまうんだろうな。原作は好
きなんだけどな。
あぁ、キューブリックが生きていれば...。

Wednesday, May 16, 2001

そうさ、この世は所詮、揺り戻し

最近、役所向けに、「起業家と大学の役割」ってなテーマの報告書作成を
手伝う機会があった。いわゆるベンチャー系のネタで、企業が産業促進と
雇用増加につながり、国家経済の牽引役に..ウンヌンカンヌンと論じたわ
けだけど...

そんなこともあって、本屋とか新聞記事とかで似たような見出しを見つ
けると、ついつい手に取ってしまうのだけど、大学の図書館で「ベン
チャービジネス」なんて、そのものズバリの題名の本を見つけたので手に
とってパラパラとめくっていた。曰く、「家庭へのパソコンの浸透が....」、
「起業(ベンチャー)をブームで終わらせるな」「イノベーション(革新)
は技術だけの話でなく、社会的変化がともなってこそ...」といった内容が
書かれていた。読み進めていくうちに、「ベンチャーは確かにある意味で
ブームだが、何もベンチャーは最近の話ではない。昭和40年台、50年台か
ら続く流れである」との記述を発見。「ん?40年台?昭和?」と思って
裏表紙の刊行日を見ると、なんと1985年刊行の本。

いかに同じことが繰り返し議論されていて、しかもその議論が結果に結び
ついていないかを実感してしまった。まぁ、思い起こしてみれば、流行の
ビジネス用語なんて全て過去の焼き直しで、言葉を新しくしただけだもん
な。CRMだのSCMだの言えば何となく聞こえはいいけど、顧客との関係
確立、在庫・流通見直しって言ってしまえば、それまでだ。

昔の流行は今の斬新、今の流行は何年か先にまた流行る。ファッションや
音楽、世相にだけあてはまることかと思っていたけど、どうやら社会科学
の分野にもあてはまるようだ。

Tuesday, May 15, 2001

思想が娯楽に負ける

よど号に関与した日本赤軍メンバーの妻子が北朝鮮に亡命しているらしく、
そのうち何人かが帰国を希望している。つい先日も、英国人の列車強盗犯が
「最後はイギリス人らしくパブでビターを飲みたい」といって逮捕覚悟で帰
国したなんてニュースがあった。

祖国に対する望郷の念ってのは強いんだな
と思っただけれど、今回の赤軍の話はちょっと違う。帰国の理由には、当然、
親の祖国を見てみたいというものもあるんだけど、「ディズニーランドに
行ってみたい」ってのも理由らしい。反体制を叫んだ赤軍にしては随分とス
ケールが小さいというか、自ら国を売ってないか?資本主義に反していたは
ずなのに、資本主義の集大成であるアメリカの遊園地に憧れるとは....。

かと思えば、重信房子の娘がパレスチナの悲劇を語り、来日して日本を語っ
ている。その彼女の顔つきや目の輝きをどこか「かっこいい」と思ってしま
うのは、いかに最近の日本人に思想がないかの証明だと思う。

一番ショックなのは、「やはり日本に帰りたい、祖国の土を踏みたい」と思
わせた理由がディズニーランドだったということ。他にないのかなぁ、日本
を感じさせる場所って。夕陽に映える江ノ島と富士山とか、お台場から眺め
る東京都か、麻布や虎ノ門あたりに路地裏からさりげなく見える東京タワー
とか、僕が好きな日本や東京はたくさんあるのにな。

Saturday, May 12, 2001

I'm sorry法

  謝る謝らないまで法律なんだな、アメリカって国は。なんでも、事故とかの時
その場で「すみません」とか「ごめんなさい」と言ってしまうと、裁判になった
時に自分に不利な証拠となるから謝罪をしにくいらしいとのこと。まるで裁判
が前提になっているようで、どうも理解できない。

誠意を持って謝ってくれないから訴訟を起こす、裁判で負けたくないから謝ら
ないというおかしなスパイラルに陥ってんだな、きっと。
えひめ丸事件で、ワドル元艦長が公には謝罪せず、遺族の前でだけ謝罪したって
のもなんとなく頷けてしまう。
きっと謝る謝らないうんぬんの前に、裁判が善悪を裁く場から、損害賠償金の
額を決める場になってしまっていることがそもそもの原因かも。

ま、法律がなきゃ謝らないなんて、論外な話だ。

Friday, May 11, 2001

平穏な日々

  「今日何してた?」、「学校で勉強してた」
「最近何か楽しいことあった?」、「うーん、いつも通り」
「じゃ、嫌なこととかつまんないことは?」、「それも特にない」

最近、こんなやりとりが多い。何の変哲もない毎日だってことなのかなぁ。
それはそれでつまらないことのように見えるけれど、当の本人は、そんな
日々を楽しんでいるのがおもしろい。「毎日を充実させなきゃ」とか「自分
の時間を大切にしなきゃ」なんて、優等生的なコメントを変に常識ぶって
声高に叫んでいる人から見れば、僕はモラトリアムを楽しむ怠惰な人間な
のかも...。

発売中のHarvard Business Review、テーマは「ポストモダン・マーケティ
ング」。80年代にさかんにニューアカデミズムとしてもてはやされたポスモダ
が、なぜ今頃復活してるんだろ。きっと、どこかのエコノミストが目新しさだ
けで言いだしたんだろうな。事実、内容はどーってことないです。立ち読み
で十分。停滞しつつあるマーケティングの世界に一石を投じたかったんだろ
うけど、見事に失敗。

静かな日々、平穏な日々、それはそれで荒波でもある。波が高い日は、海の中の
方が穏やかだし、穏やかな凪の時は、水の中の流れが速い。形として目に見えて
いるところと、目に見えていないところ、正反対のこともあるんだなと実感。

だからといって、「表面的な判断はダメ」だのと講釈をたれるつもりは全くなし。
だって人間は自分の目に見えているものしかわからないし、信じられないんだか
らねぇ、そもそも。

Monday, May 07, 2001

もろもろ

  山本リンダ入籍
おめでとうございます。別にどーでもいいことなんだけど、旦那の顔は
見てみたいな。
57才の大学教授らしい。

高橋尚子CMに引っ張りだこ
個人的には、高橋さんって好きになれないんだけど、なぜかファンが多
いようなので、CM出演は必然なのでしょう。けど、「○○は金メダル」
とかベタなのだけはやめて欲しい。あと、高橋尚子に化粧してそれっぽ
い服着せて、グラビアを撮ろうと企画してる出版社もやめてね。

レッサーパンダ
あんな残虐なことしておいて、レッサーパンダはないだろう

金正男
ディズニーランドに行きたかったのね...

Friday, May 04, 2001

品質管理

  どーも、コンピュータのソフトウェアってのは品質が低くて困る。平気でバグ
だらけの製品をリリースして、バージョンアップで金を稼ぐっていうやりかた
はどうかと思う。そのくせ、やたらと傲慢にライバルを批判するんだよね。
これなんてひどい(マイク○ソフト、オープンソースを批判)。

家電とか自動車とかの品質管理が徹底している理由の一つは、不具合があったら
人命にかかわることだと思う。パソコン用のソフトなんて、多少バグがあって、
不良品であっても、めったに人間は死なないからね。その状況にあぐらをかいて
甘えている会社ってのはまずいと思う。ここ数年、オ○クル、S○P、マイク○ソ
フトとかのソフト会社の業績が良いのは、ひとえに、品質管理の手を抜いて低
コストで製品を開発してるからじゃないかな。

Thursday, May 03, 2001

DEAN&DELUCA、ハンニバル

去年の夏あたりからかな、東京は「カフェ流行り」。洒落た店が増えたのは
喜ばしいことなんだけれど、ちょっと食傷気味でもあった。もっとも、神宮
前のあたりには神宮前カルチャーのカフェが多くて満足している。あのあた
りは僕が子供の頃住んでいただけに、思い入れが深い。

ブームにのって乱立した中途半端なカフェは時間とともに消えていくだろう
から、あと半年なり一年後にいくつの店が残っているかな。こだわりとか定
番ってのはやっぱり大事なことなんだな。

最近、DEAN&DELUCAがソニープラザと組んで日本上陸の知らせ。これはうれし
い。食材、調理器具なんかを扱うお店で、カフェもやってるんだけど、扱っ
ているものがとても良質で新鮮。N.Y、D.C、chicago、出張や旅行でアメリカ
に行ったときは、よく立ち寄ってました。
似たようなお店でCrate&Barrelっていう家庭雑貨のお店がある。こちらも日本
に入ってきてほしいなぁ。
で、このDEAN&DELUCA、映画ハンニバルのラストシーンに登場します。

うーむ、今回の正論、あんまりインサイトフルじゃない。、ま、連休ボケっ
てことでご勘弁。

Wednesday, May 02, 2001

孫子の兵法

  本屋で見かけて、孫子の本を買ってみた。今月号のHarvard Business Review
では「戦略論の進化」なんて大々的に特集を組んでいるけど、何のことはなく
すでに何年も前に孫子が言い尽くしてる。しかも具体的にね。
マイケル・ポーター、ジェイ・バーニー、そんな著名な戦略論者が陳腐に思え
てきた。
戦略、コンサルティング、MBA...大したことないな、中国4000年の歴史の前では。

Tuesday, May 01, 2001

ただ乗り

  あるコンサルティング会社のCMをテレビでやってた。バイオテクノロジーを電子
回路設計に役立てようとしている会社について言及しているんだけど、その会社
とそのコンサルティング会社はなんの関係もなく、ましてやコンサルティングと
バイオテクノロジーにはなんの関係もないわけだ。
はやりのバイオというか遺伝子をネタにした、流行にタダ乗りするのは節操がな
さすぎやしないか?
数年前、猫も杓子も「マルチメディア」とか言ってたころよりもひどいぞ。ま、
コンサルティング会社なんて、そんなもんかな、所詮。

Thursday, April 26, 2001

携帯電話

  携帯電話を持ってからというもの、あまり具体的に待ち合わせの約束をしなく
なった。「渋谷に着いたら電話する」、「じゃぁ、だいたい19:00ごろ青山ね」
こんなかんじかな。

いつでも連絡ができるから、不確定なものを予測して行動を縛るより、その場
の状況に臨機応変に合わせられるのは便利だと思う。
けど、このせいで一体何人の人間が時間を守らなくなったことか。「遅れるよ
うなら電話する」この時点で、彼/彼女は絶対に遅刻することを自ら認めている。

時間を守る、約束を守る、相手の身になって考えてみる。人付き合いというか、
社会のルールというか、根本が崩れてきてますな。

Tuesday, April 24, 2001

いろいろ

  挨拶
朝、駅のkioskでガムとか雑誌とか買うことがあるんだけど、朝のkioskって、
すごい雰囲気なわけ。人をかき分けて買いたいものを取って、お金をポンと
おきさっていくんだけど、なんだか学食のパン売り場に殺到する高校生みた
いでもある。人にぶつかっても「ごめん」の一言もないからね。

たしかに、朝は一分一秒の時間で動いている人が多いから、忙しいんだろうけど、たまに朝からいやな気分になることがある。
そんな日は決まって一日中機嫌をそこねてしまう。
この間、何の気なしに、雑誌を買って「ども」って言っておつりを受け取っ
たんだけど、おばちゃんが「はーい、今日もがんばってね」とか言い返して
くれた。その日は一日、気分が良かった、気がする。


選挙
いやぁ、知らなかったよ。日本の総裁って地方の予備選で決まるんだ。しかも、
予備選で成績が悪かったら、恥の上塗りがいやだから本選を辞退できるんだ。
へぇ、知らなかったなぁ。ふーん、そうだったんだぁ。

カロリーバランス
最近、「ダカラ」だの「チャラ」だのカロリーバランスを整えてくれる飲み物
が多く出ている。そんなものに頼るのってそもそも本末転倒だし、効き目だっ
てマユツバものなんだけど、ついつい手を伸ばしてしまう。
「そこまでしてコーラ飲みたいか?」ってダイエットコークを飲むアメリカ人
を不思議に思ったことがあるけど、もはや人のことは言えません。

Saturday, April 21, 2001

ちょっと待て その2

  あるハンバーガー屋さんの安売りを実現するために、途上国のいくつかが森林
を伐採して放牧用にしているらしい。僕らが安いハンバーガーを食べるたび、
どのくらいの森林が消えているのかな。

安くてそれなりに品質の良い衣料品を売る会社があるけれど、中国での現地生
産が安さの秘密らしい。で、その中国で、その会社の工場への出稼ぎによる過
疎化の進行が問題になっているらしい。

ゼロサムでしか成り立たず、搾取の構図のもとで成り立つ資本主義って、いい
ことなのかなぁ。

Friday, April 20, 2001

ちょっと待て

  「○○ゴッコ」なる歌がヒットしているらしい。孤独がテーマになっているような
んだけど。

そういえば、7~8年前かな、「自分探し」が流行ったじゃない。「ソフィーの
世界」とか「ビリーミリガン」とかさ。結局、物事を体系的に考えずに、その場
の衝動というか実感で行動するから、見失うわけでしょ。で、その言い訳で「ト
ラウマ」って言葉が流行って、「自分のせいじゃないもーん」に逃げたわけだ。

最近の「癒し系」とか「孤独」の流行ってのも、結局は思考停止がもたらした結果
だと思うんだよね。「誰も分かってくれない」、「これは本当の私じゃない」、
とかなんとか言う人に限って自分の意見がないんだよ。流行とか誰かが言った
しゃれた言い回しを鵜呑みにしたりね。

最近の殺伐とした世情とか状況は理解できる。辛いときや悩んでいるときに、何か
にすがりたくなる気持ちも分かる。けど、癒されている場合じゃないんじゃないか?
くたびれたならのんびり休めばいいだけの話。自分以外に逃げ場と言い訳と居場所
を求めるのは、ちょっと待て。

Thursday, April 19, 2001

総裁選

たけなわだねぇ、デキレースの総裁選。結局誰が首相になっても、候補者はみんな
閣僚入りするわけだから、裏でのカケヒキがすごいんだろうな。これだから日本は
変わらないんだ...

今までの総裁選なら、こんな感想だったと思うけど、今回はちょいと見方が違う。
橋龍はあいかわらずポマードだし、亀さんはどー見ても広島ヤクザ、小泉さんは
郵政一点張りなんだけど、いたね、ダークホースが。麻生さん。きっと落選だと
思うんだけど、言うことがすごい。「フグ田マスオ計画」だよ、マスオ。マジな
のかどーかすらわからないところがすごい。世界の名だたる大学で財務や戦略を
勉強して、吉田首相の血縁にあたるとか、華々しい経歴なのに、マスオ。たまら
んなぁ。ある意味パンクだよ。

総裁選、国民投票にならないかなぁ。意外と投票率高いと思うんだよね。それに、
政治家って票を持ってる人に媚びるわけだから、国民が一票握って首相が決まる
となれば、それこそもうちょっと国のこと考えるんじゃないのかな。

そうそう、今回の教訓。あの田中真紀子ですら口をすべらす。「口は災いの元」
なんだねぇ。

Sunday, April 08, 2001

少年老いやすく、学成りがたし

  しかしまぁ、何なんでしょ、今回の教科書検定。あの絵本みたいな教科書は
いったい何なの?


特に算数と理科がやばい。ただでさえ、分数ができない大学生に象徴される
ように理数系の能力低下が問題視されているというのに。日本とかアジア諸
国は理数系に強いってのがもっぱらの評判じゃなかったか?

円周率が約3、台形の面積は公式でなく三角形と四角形の面積の和で求める、
算数の教科書の至る所に電卓のマークが書かれていて電卓で計算、同一の物
を表す写真は2枚までと決められているので月の満ち欠けの連続写真が不掲載、
まったく、よくもまぁ、ここまで馬鹿なことを考えついたもんだ。
「ゆとりの教育」自体は間違ってないと思うけど、その実行策が間違ってる。
絶対に間違ってる。何十年か後に、国がきっと滅ぶ。
誰の政権で審議されたことなんだろう。

政治のレベルは国民のレベルを表すっていうけど、今回の愚策は僕たちの未来
で償うには重すぎる。経済政策が間違えば国力が低下して生活レベルが下がる
だけだけど、教育のレベルが下がったら確実に国が滅ぶ。

この「時には正論」第一回で紹介した中国の諺をもう一度

一年の繁栄を求めるなら穀物を育てなさい
十年の繁栄を求めるなら気を育てなさい
百年の繁栄を求めるなら人を育てなさい

Saturday, April 07, 2001

コスト削減

さて、最近、頭がマーケティングにとっぷり使っているので、そこで思ったこと。

会社が利益を出そうと思ったら売り上げを伸ばすか、支出を減らすか、のどちら
かの道を選ぶわけだけど、消費の低迷というか、モノ溢れからくる売り上げの低
減傾向によって、コスト削減が最近の金科玉条になっているように思う。
たとえば、リストラとか取引先の見直しとか、いわゆる「ムリ・ムダ・ムラ」の
排除ってやつだ。

けどね、だと思う。

正社員を削減してアルバイトや派遣社員を増やすとしよう。見かけ上の人件費は
減るから帳簿上は良しとなるけど、新しいスタッフへの研修とかを新たに担当す
る人が必要になるわけで、そうするとその人は、その人の本来の業務を中断しな
きゃいけないわけだ。
あと、採用活動もやばい。最近、学生が企業に履歴書とか資料請求はがきを出す
より、ホームページからエントリーフォームなるのもを入手するのが流行ってい
るらしい(知り合いがネットでの採用活動支援をする会社を経営してるので、あ
まり悪口は言えないけど)。企業からすれば、「人事課の人をはがき整理とか電
話対応とかの単純作業から、より付加価値のある業務への移行」っていうもっと
もな理由があるわけだけど、結局、学生が通信費とか時間とか、別の形でコスト
を払っていることになる。

結局、誰かに転嫁してるだけ何じゃぁないの?
そのくせ、企業のトップはあいかわらず料亭通いやらゴルフやらでお金使って、
家や車とかまで費用で賄っているわけでしょう。愛人のマンションとかもね。
何か違ってないか?おかしかないか?

昔の人は言いました。金は天下の回りモノ。ん?ちょっと違うか?

Tuesday, March 13, 2001

ブランドイメージ

  消費者はブランドでモノを買うのかなぁ。わからなくなってきた。有名ブランドの商品
でも、気に入らなければ買わないし、聞いたこともない会社の商品でも、気に入れば買
う。これって当たり前のことだし、普通の消費者心理だと思う。

「ブランド確立」を高らかに謳うマーケティングが流行しているけど、ブランドってこと
は大衆消費財じゃないから売り上げは落ちる。今の日本に、売り上げを落としてもいいか
らブランドイメージを確立するなんて余裕はないんじゃないの?
ってことは、そうか、自社製品に自信がなくて愛してないからブランドっていう「イメー
ジ」にすがろうとしてるってことか。

僕が好きなブランドって何だろう。ユニクロ、無印良品、マッキントッシュ、SWATCH
ヨーロッパの小型車、AMEX、J-Phone、ビルケンシュトック...

長く使いつづけたいと思うことがブランドの根底じゃないのかな。ファッションや経営
手法の流行に流されないことがブランドなんだと思う。こだわり続けて、職人気質で
モノ作って、決して媚びない。それが売れる売れないは、当たるも八卦当たらぬも八卦。

Wednesday, February 21, 2001

遺伝子の数

  人間の遺伝子数が約30,000個であるらしい。この数はハエの倍にすぎないのだそうだ。
けど、遺伝子数の大小が生物固体の性質を決めるわけでもないだろうし、ましてや
知能に影響するわけでもあるまい。
ハエは実は高等生物だった、とか、人間は以外と単純な組成だったとか、そんな議論
にならないことを祈る。
体機能が違うのだから遺伝子の数も違うだけのこと。企業だって国だって、いろんな
規模のものがあるわけで、けど規模と力は違うわけだし。
数字の大小が良し悪しの感覚に直結してしまうところが、どうもね。

Tuesday, January 30, 2001

質と量

このページもそうなんだけど、ネットでの日本語ってのは、口語体もしくはすごく
サラッとしたというか、組み立ての甘い文体になりがちだと思う。しかも往々にし
てくだらない内容だったりする。書くときの意気込みというか姿勢に影響してるん
じゃないかと思うのだが。

ちゃんとした文章を書くときでも、ワープロを使っていると、ソファーに座りなが
らとか、布団でゴロゴロしながらなんてことがある。机に向かって、紙にペンで文
章を書くときは、丁寧な字で書こうとつとめるし、修正の手間はかかるし、自然と
緊張するものだ。思わず背筋まで伸ばしたくなる気持ちになる。

パソコンの普及で、会社でも自宅でも、やたらと文章の読み書きの量が増えた。活
字離れを危惧する向きもあるけれど、メールやwebの増加は、明らかに活字(画面上
ではあるが)に接する機会が増えた。

量が増えれば質が下がるってのは、普遍の事実なんだな。

Monday, January 29, 2001

いろんなこと

  クローン人間
ケンタッキー州、1~2年後にクローン人間の「制作」と発表。「自我の複製で
なく肉体の複製だから倫理的な問題はない」そうだ。ちょっと違うんじゃない
かなぁ。バイオを国策として掲げたいじょう、正面切って中止を勧告できない
アメリカの事情。さらに、もしこれがカリフィルニア州やニューヨーク州での
ことだったら、ブッシュ大統領、どうしますか?


ジンジャー
一体なんなのか、もったいぶらずに教えてほしい。

水素エネルギー
エネ庁の実用化戦略研が最終報告。水素エネルギーはクリーンだから好き。けど、
廃棄物が水だから水浸しになるかも。あるいは大量の水素供給のために、今より
もっと高出力の発電所が必要になるかもな。
科学の進歩には、哲学と倫理と常識を。

大久保で犠牲になった韓国の方
内閣は遺族に対してなんらかの感謝や追悼の意を示すべきじゃないか?「Qちゃん」
とか「ヤワラちゃん」とかに賞をばらまくより、よっぽど意義があるぞ。きっと。
たとえ票にならなくても、やるべきことはやろうよ。それが国策じゃないか?
これ、内閣にメール書いておこうかな。

インパク
無駄遣い。森政権崩壊とともに中止してほしい。とはいえ、インターネットは高
コストってことを計らずして証明してくれたことの意義は大きい。

Saturday, January 27, 2001

  ネズミの脳にも人間の脳と同じく「海馬」があるらしい。記憶を司る器官。
で、どうやらネズミも夢を見るらしいんだな、これが。
哺乳類である以上、各器官の構造とか機能はほぼかわらないってことなの
かなぁ。それはそれでなんか不思議な感じ。

Thursday, January 25, 2001

撤退

  セガがドリキャスの生産を中止し、PS2向けのソフトに専念するらしい。
PS2向けのソフト作なら、ドリキャスのソフト作ればいいのに。なんで
わざわざ競争の厳しいゲームソフトに転向するのかなぁ。
ま、いずれにしろ、数年先のケーススタディを賑わすテーマには変わり
ない。

所詮、ゲーム機はゲームであって、PCやテレビや電話を代替するわけで
はないのに、「家庭内ハブ」だの「究極の個客チャネル」とかいって、
はしゃぎすぎ。MSのX-Boxにいたっては語る気にもならないや。X-Box
もPS2も、6年前にバンダイとアップルが開発したPiPinに劣っている
わけだし。

とはいえ、始めることよりも撤退の意思決定の方が経営者にはつらかった
はずで、その決断をしたセガは敬意に値するな。

Sunday, January 21, 2001

消費ということ

  最近、インターネットの検索にはgoogleを愛用している。www.google.com。yahoo
みたいに、株価情報だとかオークションだとかのくだらないサービスはなく、
検索に特化している。で、その検索パワーがものすごい。infoseekも好きだけど、
もっとすごい。

このサイトの検索精度だとか、約4000台のlinuxサーバーが分散
稼働だの、5TBのディスク、検索結果がキャッシュされている、スタンフォード
の大学生院生が開発...なんてことよりも、(もっともこれら自体はすごいこと
なんだけど)やっとパソコンをはじめとした情報技術の分野に「選択、比較」
の感覚が芽生えたことが新鮮に感じられる。

パソコン1台買うにしたって、多くの人は店員の言いなりだったり、友達の助言
や雑誌の提灯記事を鵜呑みにしていた。そもそも「自分で比較する」ってことが
情報技術製品には失われていた。車や家電ではそんなことないのにね。
やっと情報技術産業が成熟期に入って消費者が賢くなり始めたということかな。
パソコン買ったばかりの人が「yahooでオークション、googleでサーチ」なんて
「使い分け」を口に出すようになったことが、当たり前のことなんだけど、
うれしく思える。

人間が持つ「金と時間」という2大コストを払うわけだから、消費者はもっと
賢くならなきゃ。

Sunday, January 14, 2001

それぞれ、都合ってもんがあるのさ

  テレビを見てたら、「21世紀近未来の生活」のようなタイトルで家庭の中に
ロボットが入り込んだり、携帯電話で全てが事足りたり、そんなイメージ映像
を放送していた。僕は科学者だから、自然科学分野の研究テーマとしてそれら
がホットトピックであることは承知している。しかも、もうかれこれ30年近く
議論が続いている。


その番組を見ている間、「?」マークが頭の中を駆け回っ
た。何のためにそれらが議論されているのか、技術の進歩以外に目的がある
のか、それが全く見えてこない。何が有り難いのかがさっぱりなんだよね。
つい先日、ある携帯電話会社に出かけるチャンスがあった。未来の携帯電話や
数々のコンセプトモデル、携帯電話を駆使したマンションとか色々なもの見せ
てもらった。ところが、なんだよね。未来が見えないわけですよ。あの会社が
携帯電話を売って儲ける以外の未来、つまり社会に貢献したり、人間に貢献し
たりっていう未来が見えない。科学者や技術者、そしてインフラや製造業に属
する企業の使命は社会の貢献につきる。その発想をあの会社はなくしてしまっ
たようだ。

さて、僕は科学者であると同時に経営コンサルタントである。ここ数年、何か
が流行ると全てがそっちに向かい、馬車馬になってしまう状況が加速されてい
る。この状況の原因を探ることは僕のコンサルタントとしての役目だと思って
いる。経営や販売・マーケに従事する人間は自分で何かを作り出すことができ
ないため、どうしても小手先のごまかしやセールストークとマーケの手法に依
存してしまう。さらには常に変化し続け、購買し続けなければいけないという
資本主義においては、停滞や現状維持が許されない。その結果どうなるか。最
先端の技術、流行、コンセプトを自ら作り出し、そこで儲けていく仕組みが必
要になる。新しければそれで良いのだ。貢献だとか長期的視野は求められな
い。つまり、「言ったもの勝ち、売ったもの勝ち」の構図ができあがる。
サービス業やエコノミストの常套手段。

一つの流行を、技術、経営、人間心理・組織、社会学、財務、法律などの多くの
視点で見る必要性がもっと見直されるべきだと思う。そして、そういう人材を目
指していくことが今後のリーダーに必要だと思う。
「企業の経営責務としてはこう考える」、「自然科学からの意見はこうだ」、
「ちょっとまて、それは現行の社会にそぐわない」、「法整備が未熟だ」こんな
風に、お互いの立場と都合をぶつけあってこそ、本当の結論がみえてくるので
はないかなぁ。