Tuesday, August 15, 2000

lomo

lomoについて書く。リンクに「Photos」っていうコーナーがあるけれど、これはlomoってい
うロシア製のカメラで撮った写真。中には「モロ写真」と読み違えて、あらぬ期待をする人も
いるようだけど、それは間違い。

ちょうど去年の今頃、僕はlomoを手にした。別に写真が好きとか、そんな思い入れはなかった
んだけど、その思想というか、ムーブメントに惚れ込んでしまった。
世界各国にユーザーグループがいて、「ウォール」なんていう独特の展示をベースにイベント
をしたり、一度は製造中止の憂き目にあいながらもユーザーの支持で製造が復活したり...。
そんなことよりも、ロモユーザー(lomographerともいう)がいつも片手に、鞄の中にlomoを
入れている姿が印象的だ。
携帯電話やノートPCを「携帯メディア」なんて表現することがばからしく思えてしまう。
メディアの本質は記録することであり、伝達ではない。伝達は記録や保存の後工程に過ぎない。
そういう意味でもカメラはメディアの役割を全うしている。

80年代後半から90年代前半のMacintoshのムーブメントに似た雰囲気にも惹かれるのかもしれ
ない。ユーザー主導、愛着、アナログ感、そんなキーワードはMacに似ている。
lomoもそこそこ人気がでてきて、雑誌、新聞、テレビの各メディアへの露出度も高くなった。
規模が拡大すると、ムーブメントのベクトルが発散し、勘違いした連中が増えるのも否めない
のだが、いまのところその心配は杞憂に終わっている。
ただ、危惧すべきは、似非lomoの登場ではないか。他のカメラメーカーがこの市場に乗り込
んできた時が心配でしょうがない。
Win95がMacに対して実行したマーケ手法が繰り返されることだけは我慢ならない。

そして今日も手のひらサイズのlomoを持ち歩いている
そうそう、女優ののT.Tさんもlomoを持っているらしい

Sunday, August 06, 2000

ずっと前から

縄文時代の高度な文明が見直されたり、与那国島沖の海中に古代文明の遺跡と思われる石造り
の物体が発見されたり、いわゆる四大文明より古い文明が脚光を浴びている。
考古学者の多くは、四大文明より以前に文明が存在した可能性は認めつつも、遺跡や証拠が得
られない限りは否定する立場をとっている。まぁ、考古学で飯を食っている人にとっては死活
問題なわけで、慎重にもなるわけだ。


僕も考古学は好きだ。天体運動とか、遺跡とか、ロマンを感じるし、中学生のころエジプト、
ローマ、ギリシャに行ったときは感動した。
縄文人は海洋民族で太平洋を自由に行き来していた、なんて説も本当であってほしい。ハン
コックの神々の指紋にも読みふけった。

僕の知る限り、あらゆる国家、民族、文明に共通することがあって、それは踊りと歌。この2
つが存在しない集合体は見あたらない。
何で人は踊るのか、なぜ歌うのか。雨乞いから収穫の喜び、死、生、別れ、出会い、何につけ
ても踊り、歌う。
人が歌うときや踊るときの脳波の変化とか分泌物資の成分とか、そんなものから科学的な根拠
が見いだせるかもしれないけれど、そもそもそれらの生理現象がなぜ起きるのかの説明には
ならず、根本的な解決ではないわけで...。

僕なりの回答は、人間がもっとも頻繁に使うメディアである言葉と文字、この2つが意外に
表現力の乏しい手段なのではないかということ。
乏しいが故に補完剤や触媒を求め、それが身振り手振り、抑揚につながるのではと思う。
ロゴスよりパトスであって、パロールになるのではないかと思っている。
インターネットが急激に広まって、電子メディアが蔓延すると読み書きの能力が低下するな
んて危惧もあったけれど、その危惧は杞憂に終わり、電子メールや掲示板に代表されるように
膨大な量の読み書きが発生している。
今僕が危惧していることは、表現力の乏しい文字と言葉に重きが置かれ、表現しながら相手に
伝えることができる人が少なくなっているのではないかということ。

魅力的な人が知り合いにいますか?自分をありのままに表現できていますか?
文字にたよって、読み手の解釈に任せていませんか?
言葉に頼って後から「それは誤解だよ」なんて言い訳をしていませんか?