Sunday, June 04, 2006

コーチングとかナレッジマネジメントとか

ネットでのあるコミュニティに参加している。

「Macを教える・教わる」というコミュニティだ。


このコミュは非常に不思議なコミュで、Macについての質問が投げかけられると、とことん答えていくことが当たり前になっている。また、ここで知識を得た人は、次から教える側になろうという意識が自然と芽生える。たしかにネットにお約束の「荒らし」が全くないわけでもないが、実に健全な運営が管理人と参加者の尽力で実現されている。

これはなぜだろう。清と濁があれば、濁になりやすいネットの世界で清の部分が強く表れるのはなんでだろう。

このコミュで投げかけられる質問の中には、いわゆる「教えて君」なものから、質問者の使用環境固有のものまで全てが含まれる。そんな幅広い質問に答える人はさぞ広い知識を持っているんだろうと思われるだろうが、それはチト違う。
答えの大半は、「○○を調べてみましたか?」、「コンピューターの仕組みは...」、「ケーブルが断線しているのか、コネクタがおかしいのか、アプリがおかしいのか、OSが不調なのか」のように、
・相手に受け身ではなく自発的に調べることを促す
・現象だけでなく本質を理解させようとする
・ものごとを構造化して原因を切り分ける
さらに、
・こちらに過去の関連トピックがありました
・類似の質問がここにあります。ヒントになるかもしれません
と、過去の先人の例と経験に学ぶことを示唆する。
まさに最近流行のコーチングと、ともすると禅問答に陥りがちがナレッジマネジメントが実践されている場のように見える。

なにもこの分野の専門家が揃っているコミュではない。あくまで、「自分が困ったときなら、こう言ってもらえたらわかったのに」、「僕もこうやって人に教えてもらって詳しくなったんだ」という経験を忘れずにいる人が揃っているだけのことだ。で、このコミュで質問した人は、自ずと次から教え上手になっていく。なぜか。教え「方」ではなく、アドバイスすべき「こと」が何なのかを経験から学ぶからなんだろう。