Sunday, February 24, 2008

クルマのある生活

ちょうど去年のいまごろ、97年から乗り続けていた愛車、ルノー・サンクの調子が悪くなった。もともと91年式の車なので小さいトラブルはつきものだったけれど、エンジンやギアといった肝の部分のトラブルが出始めた。

この車とは一緒にいろんな所に出かけた。97年の秋に最初に乗ったときは徳島から東京まで運んだ。10時間ぐらいかけて運転したっけ。コンパクトなボディだから都心の細い道や渋滞をすり抜けるのも得意で、その割に1700ccと大きいエンジンだったので高速も山道も軽快に駆け抜けるワンパクな車。
管轄の陸運局がかわったので品川ナンバーに変更するとき、フランス語のサンクは数字の「5」の意味なので、希望ナンバーとして「5」を申請して無事に登録がすんだ。

年中行事のようにでかける場所も多かった。春先は雪が溶けた富士山の五合目へ、夏は戸隠まで蕎麦を食べに、秋は毎年車山高原で開催されるフランス車のお祭り「フレンチ・ブルー・ミーティング」へ、冬は富士山と江ノ島が夕日に映える七里ヶ浜までおいしいカレーを食べに、御殿場のアウトレットもよくでかけたものだ。

去年の今頃、整備を担当してもらっていたショップに持ち込んでトラブルのある箇所を伝えると、「エンジンもギヤもオーバーホールが必要かも。部品も入手しにくくなってるから厳しいかもなぁ」とのことだった。けど、「これまでだってトラブルはあったじゃないか。まだまだ大丈夫さ」と思って安心していた。

けれど、ウィンドウは動かなくなり、バックで進むとガクンと大きいショックが起きるようになり、発電系も動かなくなった。まるでサンクの方から「もう僕の役目はおわりです。楽しい9年半でしたよ」とでも言い出したようだった。悲しかった。それほどあの車は生活に溶け込んでいたんだ。

手放す日、早朝に七里ヶ浜へでかけた。海の目の前の駐車場にサンクをとめて、写真をたくさんとってずっと眺めていた。これまでに一緒に行った場所や途中の風景を思い出していた。
急に「もういいのかもな。いいんだよね」と吹っ切れたというか、諦めたというか、納得したというか、そんな気持ちになった。
その日の帰路は別の自動車を運転していた。ディーラーでサンクを引き取ってもらい、新しい車で帰ってきた。

一回り大きい新しいその車は、今でも何かに遠慮するかのように控えめに駐車場に駐まっている。

Saturday, February 16, 2008

独りの珈琲

本棚を整理していたらこの題名の本が目にとまった。増田れい子著。三笠書房「知的生き方文庫」シリーズのうちの一作。1985年の刊行だ。
日々の何気ないことのエッセイ集で、後味がよい。

子供の頃からコーヒーをいれるのは僕の役目だった。渋谷に住んでいるころはコーヒー豆をミルでひいた。ハンドルを回すとゴリゴリと豆が挽かれ、ミルの下段の木箱にたまる。その木箱を引き出したときの香りはたまらない。当時はサイフォンを使っていた。アルコールランプを使うのでここは母親の仕事だった。コポコポ、ゴポゴポ、シュゴーッと実験器具のようなサイフォンを飽きずに見続けていたことを思い出す。

三軒茶屋に移ってからも「秀ちゃん、コーヒーないの?」、「お兄ちゃん、コーヒーいれてよ」と姉と妹にせかされたものだ。
そのころはネルドリップでコーヒーを作っていた。豆はお店で挽いてもらうことが多かった。ネルに適量の粉をいれて、適温のお湯をサッと回しかけて粉を蒸らす。そのあとは数回に分けてお湯をクルクルとかけ回せばできあがりだ。

用賀と池尻に住んでいたときもネルドリップでコーヒーをいれるのは僕の役目だった。僕がコーヒーを飲んでいると、必ず「私も飲む」とリクエストされた。「マクドやファミレスよりは美味しいけどドトールの方がおいしい」などとコメントしながらも美味しいと飲んでいたっけな。スコーンやマフィン、トーストやベーグル(ベーグルは手作り)がコーヒーと一緒に食卓にならんだものだ。

二子玉川に移ってから、部屋でコーヒーといえばもっぱらインスタントだ。ベランダから目の前の多摩川を見ながら遠くに富士山を見つつ飲むコーヒーは、それはそれでおいしい。たまにはゆっくりとネルでコーヒーをいれてみようかと思った。独りでゆっくりと楽しむのもまた良し。