Saturday, December 07, 2002

流行語

年中行事の流行語大賞が発表された。今年のトップ10を見ると、
「タマちゃん」、「ムネオハウス」、「W杯」、「拉致」のような
起きた事件の名前、あるいは「真珠夫人」や「声に出して読みた
い日本語」など流行した物の名前が目立つ。
なんだか、今年は流行語ではなく、事件簿見たいな気がしてくる。

流行語といえば、「まるきん、まるび(1984)」、「亭主元気で留
守がいい(1986)」、「メークドラマ(1996)」とかそれなりに流行
したものが多い。けど、今年はちょっと違う。

流行語が言葉ではなくて固有名詞になったということは、共通の
メディアが減ったということなのかな。例えば、ほとんどの人が
同じテレビや雑誌を見ていれば、おのずと同じ言葉が伝わりやす
いわけだ。また、メディアが多様化しても同じようなコンテンツ
が流れている場合も同じ。
こう考えると、メディアが増えて、さらにそれぞれのメディアが
流すコンテンツが違うのかなぁ。
とはいえ、テレビでも新聞でもネットでも、おなじような報道が
なされているし、そうとも言い切れないか。

ただ単に、言葉の創造力が下がったのか、人々の記憶力が鈍った
のか、どっちだろう。
そういえば、「ど忘れ禁止法」なんてのもあったな。

Sunday, November 17, 2002

季節感

今年は気象学的には、どうやら秋がなかったらしい。10月中旬
まで夏日が続いて、その後、急に12月の気温になってしまった。
たしかにそうだった。おかげで外苑前の銀杏を見にいってヤキ
イモを食べるという毎秋の恒例行事がまだ実現できていない。

京都の紅葉も例年より1週間早いらしい。そういえば、今年の
春は桜が咲くのも早かった。夏にはスコールのような夕立ちが
当たり前のように続いていた。

日本には四季がなくなってしまったのだろうか。

Tuesday, August 20, 2002

ワン切り

NTTがワン切り業者に対し回線停止、なんてニュースを見かけるけ
ど、これはワン切りによる被害を防げるのだろうか。

ワン切りによる被害は2つある。1つ目はワン切り業者の無差別な発
信により電話回線がパンクし、通常の通話に支障が出る。2つ目は
ワン切り後に受信者が不用意にもかけ直してしまい、後から高額な
料金を請求される。

NTTによる回線停止は、1つ目の被害を防ぐに過ぎない。2つ目の被
害を防ぐには、ワン切り業者を特定できているのであれば、その
番号を移動体通信会社に知らせ、その番号への通話をできないよう
にしてしまえば良い。
これができない理由はただ一つ。携帯電話会社がワン切り業者への
かけ直しで通話料を儲けているからだ。技術的にはなんの困難も
問題もない。

ワン切り、出会い系サイト、この2つが携帯電話会社にとって少なく
ない収入源になっているのはどうも異常。で、社会問題になってい
るこの2つの陰で喜んでいる携帯電話会社はもっとひどい。

Thursday, August 15, 2002

タマちゃん

多摩川に出現したアザラシ、タマちゃんが連日テレビをにぎわして
いる。家族連れや野次馬がタマちゃんを一目見ようと河原におしか
けているようで、ちょっとした観光スポットになっている。

アザラシにとって生息可能とはいえ、決して適した住環境ではない
だろう。群れではなく一頭なのだから繁殖することもあり得ない。
しばらくは多摩川で生きていくのかもしれないけど、それでいいの
か。

もしタマちゃんがアザラシではなく、他の動物だったらどうなって
いたか。例えば、動物園から逃げ出した大型動物だったり、凶暴な
動物であれば即刻、捕獲となるだろう。人間に直接かつ大きな被害
を与えないような動物、たとえばタヌキやイノシシが都市部で発見
されたとしても、おそらく捕獲されるだろう。
タマちゃんは水生動物であり、陸と川の中と物理的に分離している
から、人間と直接的かつ物理的な接触がない。けど、だからといっ
て、害がないから静観というのは納得できない。人間から見た主観
というかエゴで捕獲や処分、静観といった手段が選ばれることが、
動物にとって良いのかどうか。

僕は、タマちゃんは捕獲して、水族館で飼育するなり、本来の生息
域に届けるなりすべきだと思う。このまま多摩川に放置しておいた
ら、必ず短命で死ぬ。生息可能であることと、適した住環境は意味
が違う。あと何日か何ヶ月かして、タマちゃんが死んだり目撃され
なくなってからでは遅い。
けど、悲しいことに、その時に「もっと早く捕獲するなどの手だて
は打てなかったのでしょうか」と言い放つニュースキャスターが目
に浮かぶ。

Monday, August 12, 2002

世代交代、呉越同舟

世の中お盆なので、怪談話が氾濫しています。午前中のテレビ番組
のほとんどが怪談コーナーを持っている。まぁ、怪談は毎夏の恒例
だけど、いつもと違うことに気がついた。稲川淳二がいないのだ。
そしてその代わりになぜか「つまみ枝豆」が大躍進。

稲川淳二といえば、TUBEと同じぐらい夏限定の季節商品。その稲川
さんが今年の夏は、テレビで怪談を語っていない。どうしたのだろ
う。もしや体調でも崩されたゥ、あるいは彼岸に連れ去られたかと
思っていたら、「稲川淳二公式サイト」を活動の拠点に移したそう
です。ビジュアルと視聴者からの鮮度が命のテレビ活動は控えめに
するらしい。そういえば、桜新町にある稲川氏経営の焼き肉屋も店
じまいしてました。あの店も営業中から廃墟感漂うビルだったな。

芸能人というのはマーケティング手法のかたまりだと思う。芸能人
のキャラクターについて、縦横の軸でフレームを作る。そこに芸能
人をマッピングする。競争が少なく高収益(演歌の大御所とか?)
なセグメントは現状維持。競争が激しいけど高収益なところ(連ド
ラ)には集中投資。で、先細りかつ収益低下からは撤退。
稲川さんの場合は、怪談という市場は存続するも、稲川という商品
力の低下をご自身か周囲が気づいた結果だろう。プロダクトライフ
サイクルに沿った最適なチャネル戦略と言い換えられよう。

しかし、稲川淳二のあとを、つまみ枝豆が継ぐとは。僧侶とか霊能
者とか、怪談の世界で実績のある人が稲川淳二が築いた市場を牽引
するのではなく、タケシ軍団の一員という、なんの関係もないとこ
ろから出てきた人がその市場を覆す。なんだか、クリステンセンの
disruptive technologyだな。
稲川さんには、「ディフェンディングチャンピオンの粘り」を期待
したい。新しいものが古いものを駆逐するのではなく、全ては補完
的で協力的な関係にあるのだから。実は、クリステンセンはこの点
を見落としている。
破壊的な世代交代ではなく、呉越同舟。そんな社会や生き方を目指
したいな。

Thursday, August 01, 2002

個人情報?

住基ネットだなんだと、やたらに「個人情報」だの「セキュリティ」
なんて言葉が氾濫して、ヒステリックに反対している人が目につく。
そもそも個人情報ってなんだろ。
そんなことを考えていたときに「携帯電話で個人情報流出」なんて
ニュースが目に留まった。

そのニュースによると、「○○社の携帯電話にはHPのアクセス履歴
が残る」ことが個人情報流出につながるらしい。○○社は端末のリ
コールを始めたらしいけど、何かおかしい。端末にアクセス履歴が
残るのは当たり前じゃないか?

携帯でもPCでも、アクセス履歴が残っているからこそ、「前へ戻る」
とかの機能が実現されるわけだから、履歴は残って当たり前だと思
う。さらに、企業のHP管理者なら当然、アクセスしている人が、ど
このサイトから飛んできて、どこで抜けて、どこに行ったかという
いわゆる「クリックストリーム」を監視しているはず。これは、
アクセス状況やネットワーク負荷の監視だけでなく、顧客の購買パ
ターンの識別や、あるキャンペーンの効果測定など、マーケティン
グにも活用されている。
仮にアクセス履歴が残ることすら個人情報管理の視点から「言語道
断」というのであれば、当然、webへのアクセスログを保持、活用
している企業は「問答無用」だよねぇ。個人情報を使えなくなっ
たら、企業ではデータマイニングもセグメンテーションもできな
くなって、ベタな営業しかできなくなるじゃん。

お、ここで思い出した。たしか、住基ネットに反対している人の
中には、「自治体の中にはアクセス履歴の監視や保持ができていな
いなど、個人情報管理やセキュリティ意識が不十分」なんてネタで
反対している人がいたな。履歴は持っちゃいけないの?持たなきゃ
いけないの?
わけがわからん。「何でも反対」のプチ左翼というか、進歩派とい
うか、いい加減にしてほしいな。

自分のことは自分で守れ。公表したいことは自分で触れ回れ。
やばい買い物はカードでなく現金。他人に知られて困ることは
言うな、やるな。
それで済むことなのにねぇ。

Saturday, June 22, 2002

45分

世の中、サッカー一色。電車の中やお昼時、巷の話題はサッカー
一色。かくいう僕も、中学生の頃サッカー部に入っていました。

今では体力もすっかり落ち、あの頃のスリムな体型とはほど遠い
ですが、一つだけ習慣になっていることがあります。時間の使い
方と集中力。

サッカーの試合は45分ハーフで、この間は本当に集中してます。
ちょっとした気の緩みが相手の得点につながってしまうのがサッ
カーの特徴で、どれだけ集中できるかがチームの成績を左右する
わけです。
その経験から、いまだに45分は一つのことに集中できるんだけど、
それ以上長い時間となるとついつい、注意力が散漫になってしま
う。これは困ったことで、大学の授業や講演、会議は相場90分と
決まっているので、途中で飽きてしまうことも多い。
自分の中では、45分がひとつの区切りで、45分は集中、15分は頭
をのんびりさせるというのがサイクルになってます。勉強、読書、
どんな状況でもこのサイクルは変えません。

まぁ、いい年して45分しか集中力が続かないってのもどうかと思
うけど、習慣というのは抜けないものだとつくづく思う。

もう一つあの頃のクセが。いまだにロスタイムには弱「です。
ツメが甘いというか、オシが弱いというか、簡単に言えばポカ
ミスが多いってことかな。最後の最後で、「あ、やっちゃった」
ってことが意外と多い。

Tuesday, June 11, 2002

人の縁

知り合いは多いと思う。幸か不幸か、極端に人に嫌われる性格
ではないようで、仕事やプライベートで知り合った人たちとは
長くつきあっていると思う。

仕事の状況では、「知り合いが○○で働いているので、聞いて
みます」とか、「□□って友達がいるので、多少は無理がきく
かも知れません」なんてことで、円滑にことが進むことも多く、
それなりに重宝していたと思う。

けど、最近、顔が広いのではなく、世の中が狭いのだと思うよ
うにしている。というのも、実際に世間の狭さを感じるだけで
なく、人のつながりをアテにしすぎないように自戒の念も含め
てのこと。

人の縁とか巡り合わせとか、それはそれで代え難いことで、あ
りがたいことだけど、一歩間違えると、「俺が一言入れれば大
丈夫さ」のような高慢な態度にもなりかねない。そこは間違え
ないようにしないと、ここ一番で足下をすくわれそうで。

Wednesday, May 15, 2002

「B」の美学

夜中にサッカーの試合を見ながら、ふと、お酒を飲みたくなった。

何本かのワインを木箱に無造作に入れているんだけど、ワイン専門
店が閉店するときのセールでまとめ買いしたものばかりで、それな
りの有名銘柄が多い。半額以下で買ったので決して高価な買い物で
はなかったけど、定価ではそれなりの値段のもの。さすがにそんな
ものをあけるのはもったいないと思っていたら、一本だけ、1999年
のボジョレーがあった。

そもそもボジョレーである。味や風味に「芳醇な」だの「鮮烈だ」
だの、エセソムリエ気取りの芸能人が口にするような形容詞は全く
あてはまらない。

僕は別にワイン好きでも、ワイン通でもない。産地だの銘柄だの、
何年モノかなんてどうでもいいし、そもそも知らない。その証拠に
この赤ワインのボトルをあけ、グラスに氷を入れて、そこにドボド
ボと注いで飲んでいる。ワイン「通」ならば、コルクを抜いてから
しばらく空気に触れさせ、常温で嗜むのが赤ワインの常識なのだろ
うけれど。
しかし、これが美味い。こんな大雑把な飲み方が美味い。僕の舌が
肥えていないのか、ただ単にノドが渇いていたのか、少し蒸し暑い
からかはわからないけど、ひたすら美味い。

2万円の会席料理も美味しいだろうけど、500円の味噌ラーメンもお
いしい。それと同じことか。B級グルメ、悪くない。

Saturday, April 27, 2002

今年の新入社員にご用心

2002年度、20代前半の新社会人となって世間にでてくる。新人
の非常識さを憂うのは珍しいことではないけど、今年は特に注
意したほうが良いと思う。

2002年に22才と仮定すると、15才の時は1995年。このころは携
帯電話が値下がりし始め、中高生ですらポケベルから携帯電話
に移行したタイミングなわけだ。

つまり、ガールフレンドやボーイフレンドに電話するときに
本人同士で直接話せる状況だったわけで、僕たちの世代のよう
に、電話にはまず相手の親が出るなんてことはなかったはず。
「夜分失礼します。××と申しますが、○○さんいらっしゃい
ますか?」を経験していない世代。

新人教育担当の方、この点をお忘れ無く。今年の新人、電話の
応対すらできませんよ、きっと。

Sunday, March 31, 2002

そもそも...

最近、「で、結局何が目的なんだっけ?」と振り出しに立ち戻る議
論や打ち合わせが多い。「何のために」とか「誰のために」といっ
た意識が薄いままに進んでいるプロジェクトの多さに驚く。

何となくわかったつもり、お互いに伝えあっているつもり、こんな
曖昧さが責任の所在を薄くしている。曖昧さを含んだ暗黙知ろか、
あ・うんの呼吸の必要さと便利さはわかっているけど、何事も度が
過ぎるとこじれてしまう。そうなると、正直者というか、物事を
見過ごせない損な性格の持ち主が人身御供となっていく。

「これって結局なんだったっけ?」に立ち戻ることが時には必要で、
仲間内では冗談半分にそもそも理論なんて呼んでいる。
議論が発散して収拾がつかないとき、逆に全員が一方向に押し流さ
れている時の両方で便利なことが多い。
例えば、最近直面した例だけど、「携帯電話から旅行の予約を実現
したい」というテーマがあった。多くのメンバーはwebサイトの設計
はどうしようとか、セキュリティの面で問題がと頭を悩ませていた
けれど、電話受付センターを作ればそれでいいのではないかと落ち
着いた。携帯電話=webアクセスと「思いこんだ」結果、何のためか
を見落とした例だ。ユーザーは旅行の予約をすることが目的であっ
て、手段はどうでもよいわけだ。

単純で明快な答えに限って見落としてしまうものだ。行き詰まったら
「そもそもこれって...」と立ち戻ると、意外と解決するものだ。

Saturday, March 30, 2002

No more戦略論者

一応MBAの学生なので、戦略論を語ることが当たり前の環境に晒
されている。何事においても、「まず戦略ありきでしょ」とか、
「戦略の欠如を戦術では補えないね」とか歯の浮くような台詞を
もっともらしく口にしてしまう。

個人的には、戦略論などというたかだか30年程度の歴史しかもた
ない学問に興味はない。学問や理論と呼べるものではなく、例外
の寄せ集めというか、後付の解説に過ぎないと思っている。
というのも、ポーターやバーニー、アーカーなどこの業界で幅を
きかせている人間が言っていることは、とうの昔に言われている。
僕は、カタカナで説明するより、熟語や故事成語で説明するよう
に心がけている。

例えば、トレードオフ。これは「二兎を追うもの一兎をもえず」
のことだ。アジリティは「疾きこと風のごとし」、5forcesは
「彼を知りて己を知れば百戦あやうからず」、ベンチマークや
ベストプラクティスは「人の振り見て我が振り直せ」。交渉の
BATNAは最善策、次善策のこと。

こんな風に、皆が一度は耳にしたことがある言葉で説明した方
が誤解を招かずに良いと思う。
カタカナで惑わし、本来の意味を見失っている戦略論者はもう
いらない。