Tuesday, November 27, 2001

no more 携帯のリコール

おそらく、ほとんどの人が予想していたであろうことが起き
てしまった。新しい携帯電話の機種が発売されると、決まっ
てリコール騒ぎが起きることは、もはや毎度のことである。
しかも不思議なことに、ある特定の携帯電話事業社でセけ
起きるのだ。

その会社の、2001年11月26日付けのリリースによると、
「ある条件下で作成された一部サイトに接続した際、フリー
ズしてデータが削除されます」との発表が成されている。こ
の「ある条件下」について、CNET等のニュースサイトが詳細
に報じているが、どうやら「大容量のデータを分割して受信
するサイト」のことらしい。普通に解説すれば、「ファイル
サイズや送信量の大きいデータ、つまり音声や映像等を配信
するサイト」である。これはまさに第3世代携帯電話が売り文
句にしているサイトではないか。
巨額の開発投資、宣伝広告費を投入したサービスで今回のリ
コール騒ぎが発生したことは、もはや同情に値する。

また、リコール騒ぎが起きるたびに、原因を「ソフトウェア
のバグ」と決めつけている。なぜこうも度々ソフトウェアの
バグが残った状態で製品が発売されるのだろうか。

ソフトウェアの開発は、通常、要件定義、設計、開発、テスト
のサイクルで開発される。この中でも、要件定義とテストが
最も重要な作業に当たる。どんな機能を実現するソフトウェ
アを作るかを「定義」し、それが確実に動作することを「テ
スト」するのである。
ところが、携帯電話産業におけるソフトウェア開発は、この2
点、「要件定義」と「テスト」がお粗末だと聞く。
というのも、要件が五月雨式に発案され、いつまでも仕様が固
まらず、しかし開発スケジュールや予算は決まっているので、
とりあえず設計や開発に着手せざるを得ず、開発中にも新規の
要件が追加され設計・開発期間が延長され、結果としてテスト
期間が短縮・省略されてしまうのだ。
多くのアイデアがいくつも湧きだし、要件として追加されるこ
とは決して間違いではない。ただ、要件がダラダラと設計・開
発に組み込まれていくことが問題であり、これはプロジェクト
管理能力の欠落といわざるを得ない。
また、そもそも開発期間が、「市場の急速な変化に対応する」と
の大義名分のもとにタイトな設定になっている点も見逃せない。
これで何人の開発担当者がバーンアウトしていることか。

さらに、ここ数年、ソフトウェアにバグが存在することを肯定す
るような風潮もある。「3回程度のメジャーバージョンアップが
なされないと使い物にならない」とか「複雑なロジックで成り立
つソフトウェアに100%を求めてはいけない」などなど。
これは全く論外な意見だと思う。家電や自動車さえ機器の中に
コンピュータを搭載し、OSやアプリケーションが稼働している。
一度事故が起これば、人命に関わるだけに、家電や自動車の品質
管理能力は非常に高い。一方、パソコンや携帯電話等の機器は万
が一事故が起こったとしても、人命に関わる危険性は低いため、
品質管理がないがしろにされる傾向が強い。


早期の市場投入による成功者利益、バージョンアップでの買い替え
需要での儲ける仕組みなど、企業にはいろいろな事情があるにせよ、
せめて最低限の品質が保証され、確実に使い物になる製品やサービ
スを望むことは消費者のエゴなのだろうか。
大々的な宣伝をし、鳴り物入りで投入された製品やサービスであれ
ば、消費者サイドの期待感は高まる。この期待感にはこたえてもら
いたいものだ。

Sunday, November 25, 2001

二足の草鞋

経営と技術の両方を知っている人材だとか、戦略と実務の両方を
語れる人材が必要ということは、もう何年も言われている。僕が
社会人になったらも良く聞くし、何十年も前に書かれた本にも度々
登場する。
こうも長くの間「必要だ」と言われ続けているのはなんでだろう。
そのニーズを満たす人がいないのだろうか。

そんなことはない。実際、複数の専門領域を持つ知り合いが何人
かいる。天才的なプログラマでありながら会計士だったり、グ
ロービスに通う医学生、文学部出身のコンサルタント、生物学修
士の新聞記者...。こういう僕自身も、複数の専門領域を持って
いる。

では、他に理由があるのではないか。僕は2つの理由があると思う。

まず一つ目、二足の草鞋を履く人がいないのではなく、そういった
人が活躍できる組織や職種が少ないことが一番の理由だと思う。
社会では、何か一つの職業を選ぶ必要がある。そしてそれは往々に
して、特定の職務や専門性を求められることが多いわけだ。経営規
模の大小を問わず、組織という物は概して縦割りだ。柔軟性があっ
て、オーバーラップしている組織もあるが、それぞれの組織は明確
な責任範囲があるという点において、とても閉じた状況に置かれて
いる。

二つ目の理由は、技術者の地位が低いこと。
技術を語る経営者は求められるが、経営を語る技術者は煙たがられる
ことが多い。コンサルティングの仕事を通じて知り合った会社の多く
は、そんな社風を持っていた。製造業や研究開発が基幹業務の会社で
あっても、営業、マーケティング、経営企画、財務等の部署がいわゆ
る出世街道なわけだ。
そして、それらの部署にいる人が技術に詳しくないことは許されるが、
研究者や技術者が財務諸表を読めないと馬鹿にされる。

そういえば、二足の草鞋って言葉は、良い意味だけではないし、二兎
を追うもの一兎をも得ずともいう。
果たして、複数の専門領域を持つ人材、俗に言うπ型人間というのは
本当に求められているのだろうか。

Wednesday, November 14, 2001

似たもの同士

友達とか知り合いってのは、どこか自分に似ていたり、共
通の趣味があったりするものだ。そもそも、知り合うきっ
かけが趣味や興味を基にしていることが多いわけだから、
当然といえば当然かも知れない。
しかも、学校、バイト、就職とかっていうのは、偏差値、
年齢、居住地域とかで輪切りにされて、とかく均質な人間
が集まりやすい構造になっている。似た価値観、考え方、
育ち、趣味・興味とか。
日本はモノカルチャーだし、ほぼ単一民族だという文化的
背景も影響していると思う。
「縁」とえ「巡り合わせ」ってのは、こんな輪切りの構造
に多少なりとも左右されているのかもしれない。

ところが、なんだけど。輪切りでありつつも、例えば、僕
の印象というのは、学生時代の同級生、lomoのメンバー、
会社の同期、家族とかで違っていると思う。それぞれの場
の中では、僕は違う人間として認識されていると思う。
学校の同級生は学校での僕をよく知っているだろうけど、
家の中での僕や、バイト先での僕はよく知らないはず。
友達や知り合いの意外な一面を知ったときの意外さは新鮮
な驚きだったりする。

似たもの同士でありながらも、意外さと多様性は常に持っ
ていたいものだ。同じような価値観や話題に終始する人と
は長くつき合えないと思う。きっと飽きてしまう(そもそ
も僕は、ベッタリとした人間関係は好きじゃない)。

多様性はパワーなのだと、つくづく思う。類似性と多様性
のバランスが気さくな間柄を保つ秘訣だと思う。

/**おまけ**/
最近のマーケティング手法は、類似性だけで市場や顧客を
捉えることが多い。「セグメンテーション」を盲信しすぎ
ているように思う。セグメンテーション自体は有用な手法
だし、僕もよく使う。けど、市場や顧客を分類する軸とい
か、視点はもっと多様だと思う。企業が定量化できる消費
額や来店頻度、商品認知度などの指標では、顧客や市場の
ごく限られた部分しか捉えられないはずだ。
ではどうするか、論文執筆中です。

Thursday, November 01, 2001

タイミング、日本語にすれば潮時か

会社を良くすることがコンサルタントの仕事だけど、それは
決して正義の味方ではないのだ。
コンサルタントは、あくまでクライアント企業の利益のため
の存在だ。クライアント企業の利益が向上するのであれば、
例え消費者をだますやり方であっても、「新しいマーケティ
ング手法」と称して提案する。
社員のためでも、消費者のためでもなく、全ては企業の業績
のため。

確かに、企業の業績が上がって、株価が上がれば、資金が潤沢
になるから、株主も、社員も、消費者も富の再分配の恩恵を
受けられる。初歩的な経済学や社会学によればね。
それはそうなんだろうけど、どうしても、消費者側の立場や、
現場で働いて苦労している人に目が向いてしまう。そもそも
このサイクルがうまく回っている例を知らない。少なくとも
国内では。

持続的な競争力のある戦略を思いついたとしても、それが社員
に重責や長時間労働を課してしまったり、消費者をだまして
暴利をむさぼるものではいけないのではないか。
社員、消費者、株主がみんなハッピーな会社を、僕は知らない
し、それを実現する戦略も思いつかない。

こう考えるようになったので、僕はもうコンサルタントとして
はやっていけないのではないかと思ったりもする。
深刻に考えずに、のらりくらりとやっていけば、今の会社でも
そこそこ成功するかもしれないけど、それでいいのかどうか。
ちょっと大げさだけど、残りの人生、それで堂々と胸を張って
生きていけるのか...。

世のため人のため、そんな仕事がいいかもしれない。