Tuesday, December 20, 2005

昨今の不可解な「知り合うプロセス」

巷ではそれなりに人気のある番組らしい。何人かのグループが、なぜかワンボックスカーに乗り、なぜか各国を旅して、なぜかそのつど繰り広げられる色恋沙汰を垂れ流している番組だ。

(注:意外と視聴率が高い番組らしいので、これを読んでいる人で、この番組のファンがいたらごめんなさい。番組を見ているあなたのことを否定するつもりはなく、その番組を否定するわけでもなく、このテの番組が生まれる背景について書くので、その点をわかっておいてください。)

その番組の特番の予告CMが流れている。予告CMなので、放送予定の場面やキメ台詞が盛り込まれているわけだが、一番最後に流れるキメ台詞、
「出逢ってくれてありがとう」

はぁ?日本語的におかしくねーか?
まぁまぁ、所詮テレビじゃないか。演出だよ、演出。

製作サイド→出演者
「○○ちゃぁん、なんかこう、ググットくるキャッチーなコメント頼むよぉ」

(調子に乗った)出演者→製作
「じゃぁ、こんなんどーっすかぁ?やっぱ俺的にぃ、出会いに感謝ってのをテーマにしたいんでぇ、ストレートすぎますけど、出逢ってくれてありがとうってかんじで」

製作
「いーじゃんいーじゃん、○○ちゃん、ナイスだよナイス。じゃ、そのコメント入るとき、ヨリのヌキでもってってからパンしちゃおっかな。お、そーだ。番組終わっても、△△ちゃん、持ってちゃっいなよ、狙ってんでしょ?わかってるって。」

とか言っているんだろうなぁ。
で、それはおいておいて、本題に移る。

このテの少人数グループ内での色恋沙汰の繰り返し、簡単に言えば、「元カレ/カノも今カレ/カノもみんな知り合い」、の状態がテレビ番組の題材になることは今に始まったことではない。
ビバリーヒルズ青春白書、ナイス・サーティーズ、アリー・マイ・ラブ、セックス・アンド・ザ・シティ、みんな似たような展開だ。日本の番組では、多少古いけれど、金曜日の妻達へも似たような設定になっていた。いわゆるトレンディドラマ、昼メロにはどこかで必ず、過去(以前の恋人)と現在の葛藤がスパイスとして投入される。

このテの題材が扱われることに違いは無いのだが、それが持つ意味合いが変わってきているように思う。
ずっと以前は、愛憎うずまくドロドロ加減、不貞に対する罪悪感、ズルズルと引きずる薄幸さが番組制作側と視聴者側の双方の認識だったと思う。
しかしながら最近は、ようやく本当の相手に巡り合えた、ずっと気がつかなかったけどこんなに近くにいた、のようなメッセージに変わっているような印象を受ける。
言い換えると、「済んだことなんてどーでもいいの。今の相手がいいんだもん。世の中場面でいーんじゃないの?場面で」といった風潮が見え隠れする。
最近の若年層が使う「場面でよくね?」との表現は「スキゾでいこーぜ」と動議だ。
(浅田彰が柄谷行人との対談で、ネットの普及について「これでスキゾの時代が到来する」と言ってのけていたが....)
この風潮は、NANAにも現れている。14巻が発売されたが、なんだかもう、すんごい展開になっている。

で、鶏と卵どっちが先かはわからないが、中高生のコミュニティ意識は、まさに「近場でとっかえひっかえ」になっているらしい。

「コミュニケーションの手段が発達するほど、コミュニティは小規模、少人数になり、委員会的な動きを見せるようになる」という論調は、マーシャル・マクルーハン以降のメディア論者の間では通説とのこと。
人と知り合うきっかけや手段が増えたり発達したおかげで、知り合うきっかけを他者が与えてくれるようになった。自分から積極的に働きかけて人と知り合うのではなく、友達の友達は自動的に自分の友達になってしまう状況とも言える。

「出逢ってくれてありがとう」。実はこんな何語かもわからない言葉が、現状を端的に言い当てているのかもしれない。自分が会ったのではなく、相手から知り会ってくれたんだ。

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