Monday, September 11, 2000

愛国心と国粋主義

  オリンピックが近づくと、毎回、考えること。
「さぁ、今回日本はいくつのメダルが...」、「さすがアメリカ、強いですねぇ」なんて
思いっきり「国家」の視点で物事を語る。

国旗と国歌を法制定するときにあれだけ騒いでおきながら、オリンピックやワールド
カップでの国旗掲揚や国歌斉唱は何とも騒がなかったりする矛盾。
僕自身は、日本が好きだし、きっとこれからも住み続けるだろう。そういう意味での
愛国心は持っている。けど、僕は護憲派でも右翼でもないので、愛国心=ナショナリズム
の図式にはのらない。ただ単に生まれ育った国が好きだというただそれだけのこと。

けど、どうもオリンピック中の日本人や代表選手、五輪選手選考委員会は国粋主義に
陥ってるように思えてしょうがない。
純日本人のチームでなんてメンタリティだから、チーム監督を外国人でなく日本人にし
ようとか、そんなことにこだわるわけだ。日本の他に、自国民だけにこだわる国って
韓国と朝鮮ぐらいじゃないかな。もちろん、他の国も、選手は自国民であるけれど、
チームメンバー、サポートスタッフ、スポンサーとなればそれこそグローバルチームで
やっている。
多国籍の中での自国の意識というか、そういう意味での国家意識を感じる。

それともう一つ。海外の代表選手って、ほぼ全員が英語を話し、会見でも通訳なしで
受け答えている。金メダリストが英語で感謝の言葉やその時の気持ちをいうからより
多くの人間が共感できる。
でも、日本人の代表選手の場合は、必ず通訳付き。そもそも英語を話せる
人っているんだろうか。それって結局、世界を見て勝負してるかどうかってことの
あらわれだと思うんだよね。
英語である必要はなく、例えば、ツール・ド・フランスを狙うならフランス語に堪能
なことが望ましいだろうし、拳法を極めたいなら中国語かも知れない。
スポーツ選手に限らず、日本しか見えていない人間が多いのは問題だと思う。そのくせ
駅前留学とか言ってるわけだから、もはやパロディだな。

言語はパワーだ。世界を相手に戦うつもりなら、せめてまず同じ土俵に立て。その前に
入り口に通してもらえるだけの最低条件を満たせ。
それができない人間は、文化だの国民性だのを持ちだして逃げる。
戦いに行くのなら戦う準備をしよう。逃げる準備じゃなくてさ。

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