ちょっと前まで放送されていた英会話スクールのCM、妙にひっかかる内容だったので記憶している。最近は放送されなくなっているけど、すっかり記憶に残ってしまった。どこの英会話スクールだったかは忘れたけど。
内容はこうだ。会社帰りに同僚と思われる男女が小走りで英会話学校に向かっている。時間ギリギリに授業に駆け込み、その様子をみた先生が、「Are you good friends?」と質問すると、男性は「Yes」と満面の笑みで答え、女性が「No, we never even walk together.」と答える。ま、これだけのCM。制作者としては、男性の答えと女性の答えにギャップがあるドタバタ感をオチとしたのであろう。
で、何がひっかかるかというと、この女性の返事。友達同士なのかという問いに対して、「まさか、一緒に歩いたことすらないんです」との答え、普通こんな返事するか?日本語でしゃべっている時には絶対こんな返事しないでしょ。「会社の同僚です」とか「まぁ、そうですね」ぐらいの返事が自然だと思う。英会話学校というのは、やたらと大袈裟な表現や仕草を教えるのが目的としか思えないな、あのCMを思い出すと。そう考えると、やたらと「ンフ、アハァ」なんてわけのわからん相づちや、やたらと「you know」を連発する人って多いかも。英会話学校で英会話を勉強したいのか、あるいは外人になりたいのか。何を教えているんだろう、英会話学校。気になる。
ひとつ思い出した、中学校の時の英語の教科書での文例。「Is this an apple? No, it is a banana」。文法的には全く正しい文章だし、疑問文とその答え方を学ばせたい意図も分かる。けどな、誰もリンゴとバナナは間違えないよ。この文章、暗記したところで一生使うことはあるまい。
Monday, October 27, 2003
Wednesday, October 15, 2003
気になる言い回し
糸井重里さんのHP「ホボニチ」にある「オトナ語」のコーナーではないけれど、頻繁に耳にしたりついつい使ってしまう言葉や言い回しってのがある。「~させていただく」、「~の方(ほう)」、「とんでもございません」、このあたりは文法的に間違っていたとしても定着してしまったようだ。
意味が間違って解釈されているものといえば、「力不足・役不足」や「気が置けない」がすぐに思い浮かぶけれど、代表格は「さわり」だろう。よく「時間も限られていまキのでさわりの部分だけご紹介します」なんて使われ方をする。この場合、「ちょっとだけ」とか「始まりの部分」としての意味で使われるけど、本来の意味は「一番盛り上がる部分」だ。歌舞伎だか狂言の世界では、他流を取り込んで創作する場合、「他流に触れる」、つまり「触る」場面で一番の盛り上がりを見せるらしい。これが「サワリ」の語源だ。
さて、言葉が乱れるのは若い世代の特権かと思っていたらそうでもないようだ。昭和の生き証人、道路公団の藤井総裁の日本語は奇怪きわまりない。道路ばっかり作っていたら、脳味噌もコンクリートになってしまったのかと思うほどだ。例えば、「自分の立場に恋々とする人間ではないので、辞職しない」、「断腸の思いで辞職しない」などなど。
僕の日本語もかなり乱れているだろうけど、普段から正しい言葉使いには気をつけたいものだ。横文字の乱発にもきをつけたい。とかいいつつも、きっと「全然OK!」とか言っちゃうんだよなぁ、きっと。
意味が間違って解釈されているものといえば、「力不足・役不足」や「気が置けない」がすぐに思い浮かぶけれど、代表格は「さわり」だろう。よく「時間も限られていまキのでさわりの部分だけご紹介します」なんて使われ方をする。この場合、「ちょっとだけ」とか「始まりの部分」としての意味で使われるけど、本来の意味は「一番盛り上がる部分」だ。歌舞伎だか狂言の世界では、他流を取り込んで創作する場合、「他流に触れる」、つまり「触る」場面で一番の盛り上がりを見せるらしい。これが「サワリ」の語源だ。
さて、言葉が乱れるのは若い世代の特権かと思っていたらそうでもないようだ。昭和の生き証人、道路公団の藤井総裁の日本語は奇怪きわまりない。道路ばっかり作っていたら、脳味噌もコンクリートになってしまったのかと思うほどだ。例えば、「自分の立場に恋々とする人間ではないので、辞職しない」、「断腸の思いで辞職しない」などなど。
僕の日本語もかなり乱れているだろうけど、普段から正しい言葉使いには気をつけたいものだ。横文字の乱発にもきをつけたい。とかいいつつも、きっと「全然OK!」とか言っちゃうんだよなぁ、きっと。
Sunday, August 17, 2003
驚き
前宣伝に力を入れてる映画「英雄(HERO)」。CMやらテレビの特番やらが賑わっている。中国の歴史物っていういわゆる時代劇だし、アジア映画特有のワイヤーアクション連発だったり、映画自体には何の興味もない。一つだけ、映画とは別のことで感心というか驚いたことがある。
出演者や監督にインタビューしている番組があったんだけど、全員が英語でインタビューに答えていた。出演者も監督も中国人が多いわけだけど、流暢な英語で受け答えしているのには正直驚いた。東南アジア諸国が英語を半公用語として使っているのは知っていたけど、中国でもその動きは加速しているようだ。中国の人口に比べれば、英語を話す人はごくわずかだろうけど、着々と増えているのではないか。中国は確実に世界を見ていると感じた。実際、この映画の制作スタッフは世界各国から集まっていて国際色豊かだ。
さて、日本はどうだろう。「踊る~」や「ゲロッパ」やアニメがそれなりの興業収益をあげているようだけど、スケールが違うというか、次元が違うのではないだろうか。まぁ、映画界に限らず、企業でもスポーツでも日本人の「英語できない指数」はきっと世界で1、2を争うぐらいに高いと思う。スポーツで世界記録を出したり、優勝したりする選手はきまって英語でインタビューに答えている。日本人で世界記録や金メダルをとった人を思い出してみても、そんな人は見あたらない。せいぜい、帰国後にテレビでチヤホヤされてタレントに転身するのがオチだ。
なんだか、鎖国かと思うほど内向きじゃないか?日本。中国にさえ負けてるぞ。
出演者や監督にインタビューしている番組があったんだけど、全員が英語でインタビューに答えていた。出演者も監督も中国人が多いわけだけど、流暢な英語で受け答えしているのには正直驚いた。東南アジア諸国が英語を半公用語として使っているのは知っていたけど、中国でもその動きは加速しているようだ。中国の人口に比べれば、英語を話す人はごくわずかだろうけど、着々と増えているのではないか。中国は確実に世界を見ていると感じた。実際、この映画の制作スタッフは世界各国から集まっていて国際色豊かだ。
さて、日本はどうだろう。「踊る~」や「ゲロッパ」やアニメがそれなりの興業収益をあげているようだけど、スケールが違うというか、次元が違うのではないだろうか。まぁ、映画界に限らず、企業でもスポーツでも日本人の「英語できない指数」はきっと世界で1、2を争うぐらいに高いと思う。スポーツで世界記録を出したり、優勝したりする選手はきまって英語でインタビューに答えている。日本人で世界記録や金メダルをとった人を思い出してみても、そんな人は見あたらない。せいぜい、帰国後にテレビでチヤホヤされてタレントに転身するのがオチだ。
なんだか、鎖国かと思うほど内向きじゃないか?日本。中国にさえ負けてるぞ。
Sunday, August 03, 2003
グルメサークル「ぐるぐる」
このコンテンツは更新すると、メールでいろいろと感想が送られてくる。お褒めの言葉からイチャモンまで実にいろいろと。ごく最近、「もう少しソフトなネタはないのか」とのコメントをもらい、今回はちょっとポップなネタでいこうと決めた。何のネタにしようかと考えていたとき、先週の後半は外食が続いたことを思い出した。そして、謎の食べ歩きサークル「ぐるぐる」についても....。
グルメサークル「ぐるぐる」。このページに来ている人の中にはお馴染みの人もいるでしょうが、本題に入る前にちょっと紹介を。「ぐるぐる」は決してメンバーがいるサークルではない。その実体は、僕が今までに行ったことのあるお店のカードがギッシリと詰まった新書サイズのバインダの呼称だ。大学生の頃から、気に入ったお店のカードを持ち帰っていた。結構な量になったのでバインダに入れて整理した。今では4冊ほどになっている。そのバインダにこの週末、いくつかのお店が加わった。
木曜日
学生の頃からの友人から、かねてから「星さん、江戸前の寿司、どうですか?」と誘われていた。いわゆる江戸前の寿司は食べたことがなかったので「行く」と即答。行ったのは新橋にある「しみづ」。烏森神社近くの路地にあるカウンターだけの小さな店だ。ここの寿司を食べた感想は、「今まで食べていた寿司は寿司じゃない」につきる。誤解のないようにいっておくけど、僕だってキュウベエとかカラクとか、名の通った店に行ったことだってある。けど、そんなところの寿司は足下に及ばない。参った。
金曜日
金曜日は、F社のコーポレートブランド室のメンバーと、MBAの同期で外苑前にシュラスコを食べに行った。数年前に流行したシュラスコだが、ブームの後は本場のシュラスコだけが生き残っているように思う。このお店も去年のワールドカップでブラジルチームが訪れたほどらしいので、本場の味に近いのだろう。外苑前から外苑西通りを千駄ヶ谷方面に行くとあるそのお店は、「コパトーキョー」。美味しかった。
料理が美味しかっただけでなく、一緒にいたメンバーが良かったことも特筆。僕は、同じ会社のメンバーとは極力飲みに行ったりしないようにしている。どうしても昼間の延長で仕事の話題になってしまってせっかくの食事も不味くなるので。今回のメンバーは皆ウィットに富み、話題も多岐にわたり、実に楽しかった。
土曜日
西麻布によく行く和食系居酒屋の「せいざん」というお店がある。このお店の系列店が同じく西麻布にできた。「壌(じょう)」という名の和風スタンディングバーで、飲み物500円均一、食べ物300円均一、カウンターのみ。場所は西麻布のホブソンズの2件隣り。このお店のオープニングパーティが土曜日に開かれ、幸運にも招待状をもらったので出かけてみた。料理もお酒も決して品数は多くはないが、店の雰囲気も味も申し分なく、おすすめ。
さて、美味しくて、安くて、また行きたいと思うこと、この3つが「ぐるぐる」の条件。これからも僕の舌とお財布と感性の勝手な都合で「ぐるぐる」は増えていくのだ。機会があればご一緒に。
グルメサークル「ぐるぐる」。このページに来ている人の中にはお馴染みの人もいるでしょうが、本題に入る前にちょっと紹介を。「ぐるぐる」は決してメンバーがいるサークルではない。その実体は、僕が今までに行ったことのあるお店のカードがギッシリと詰まった新書サイズのバインダの呼称だ。大学生の頃から、気に入ったお店のカードを持ち帰っていた。結構な量になったのでバインダに入れて整理した。今では4冊ほどになっている。そのバインダにこの週末、いくつかのお店が加わった。
木曜日
学生の頃からの友人から、かねてから「星さん、江戸前の寿司、どうですか?」と誘われていた。いわゆる江戸前の寿司は食べたことがなかったので「行く」と即答。行ったのは新橋にある「しみづ」。烏森神社近くの路地にあるカウンターだけの小さな店だ。ここの寿司を食べた感想は、「今まで食べていた寿司は寿司じゃない」につきる。誤解のないようにいっておくけど、僕だってキュウベエとかカラクとか、名の通った店に行ったことだってある。けど、そんなところの寿司は足下に及ばない。参った。
金曜日
金曜日は、F社のコーポレートブランド室のメンバーと、MBAの同期で外苑前にシュラスコを食べに行った。数年前に流行したシュラスコだが、ブームの後は本場のシュラスコだけが生き残っているように思う。このお店も去年のワールドカップでブラジルチームが訪れたほどらしいので、本場の味に近いのだろう。外苑前から外苑西通りを千駄ヶ谷方面に行くとあるそのお店は、「コパトーキョー」。美味しかった。
料理が美味しかっただけでなく、一緒にいたメンバーが良かったことも特筆。僕は、同じ会社のメンバーとは極力飲みに行ったりしないようにしている。どうしても昼間の延長で仕事の話題になってしまってせっかくの食事も不味くなるので。今回のメンバーは皆ウィットに富み、話題も多岐にわたり、実に楽しかった。
土曜日
西麻布によく行く和食系居酒屋の「せいざん」というお店がある。このお店の系列店が同じく西麻布にできた。「壌(じょう)」という名の和風スタンディングバーで、飲み物500円均一、食べ物300円均一、カウンターのみ。場所は西麻布のホブソンズの2件隣り。このお店のオープニングパーティが土曜日に開かれ、幸運にも招待状をもらったので出かけてみた。料理もお酒も決して品数は多くはないが、店の雰囲気も味も申し分なく、おすすめ。
さて、美味しくて、安くて、また行きたいと思うこと、この3つが「ぐるぐる」の条件。これからも僕の舌とお財布と感性の勝手な都合で「ぐるぐる」は増えていくのだ。機会があればご一緒に。
Thursday, July 31, 2003
金銭感覚
渋谷のセンター街で女子小中校生がナンパされて監禁されたって事件がおきてから、しばらくの間ニュースでは「渋谷の実態」だの、「幼女ビジネスの闇」だといった特集が目立った。そんな中で、渋谷に遊びに来ている小学生のお財布事情が取り上げられていた。
渋谷といえば、最近、購買力が低い若年層が多くを占める街となって、百貨店や飲食店の客単価が著しく下がっている。結果として街全体の消費量が伸び悩み、店舗利益が減少して投資意欲が下がり、街が衰退するといったサイクルに入りつつあるらしい。そんな街にやってくる小学生の財布の中に、なんと 7000円が入っていた。「ん~っと、今日は7000円しかないけど」なんてコメント付きで。
まぁ待て、これはテレビだ、演出や絵づくりという名のヤラセがつきものだし、台本や絵コンテだってあるかもしれない。ひょっとしたら子役を使ってるのかもしれない。だってフジテレビだったし。映像の鵜呑みが禁物なのは百も承知だが、小学生が7000円....
サラリーマンの月平均小遣いが3~4万で減少傾向が続いているというのに、子供がついこの間の日経平均株価に近い金額を持ち歩いているのかぁ。
僕が小学生の頃、月にもらっていたお小遣いは500円だった。もちろん、日々必要な物は別途買ってもらっていたはずなので、何がお小遣いで何が違うのかはわからないけど、毎月500円をもらっていた。当時の500円はお札で、少し青みがかった色のお札が妙に高級に見えて、大人気分になったものだ。中学生の頃、部活用に買ってもらったadidasのサッカーのスパイク、1万6千円だった。毎日磨いた。高校生の時、家の近所のスーパーでレジ打ちのバイトをして、初めてもらった給料が月30,000円。すごい大金だった。大学生になってすぐのころ、女の子とデートして二人で8000円ぐらいの食事をした時に、すごく贅沢をした気になった。世間一般ではたしかに贅沢だ。
どれだけ給料をもらっても、宝くじが当たっても、パトロンがついたとしても、あの頃の金銭感覚は忘れずにいたいと思う。「時代が変わった」の一言ではすませたくない。あの小学生の親の顔が見てー!
渋谷といえば、最近、購買力が低い若年層が多くを占める街となって、百貨店や飲食店の客単価が著しく下がっている。結果として街全体の消費量が伸び悩み、店舗利益が減少して投資意欲が下がり、街が衰退するといったサイクルに入りつつあるらしい。そんな街にやってくる小学生の財布の中に、なんと 7000円が入っていた。「ん~っと、今日は7000円しかないけど」なんてコメント付きで。
まぁ待て、これはテレビだ、演出や絵づくりという名のヤラセがつきものだし、台本や絵コンテだってあるかもしれない。ひょっとしたら子役を使ってるのかもしれない。だってフジテレビだったし。映像の鵜呑みが禁物なのは百も承知だが、小学生が7000円....
サラリーマンの月平均小遣いが3~4万で減少傾向が続いているというのに、子供がついこの間の日経平均株価に近い金額を持ち歩いているのかぁ。
僕が小学生の頃、月にもらっていたお小遣いは500円だった。もちろん、日々必要な物は別途買ってもらっていたはずなので、何がお小遣いで何が違うのかはわからないけど、毎月500円をもらっていた。当時の500円はお札で、少し青みがかった色のお札が妙に高級に見えて、大人気分になったものだ。中学生の頃、部活用に買ってもらったadidasのサッカーのスパイク、1万6千円だった。毎日磨いた。高校生の時、家の近所のスーパーでレジ打ちのバイトをして、初めてもらった給料が月30,000円。すごい大金だった。大学生になってすぐのころ、女の子とデートして二人で8000円ぐらいの食事をした時に、すごく贅沢をした気になった。世間一般ではたしかに贅沢だ。
どれだけ給料をもらっても、宝くじが当たっても、パトロンがついたとしても、あの頃の金銭感覚は忘れずにいたいと思う。「時代が変わった」の一言ではすませたくない。あの小学生の親の顔が見てー!
Sunday, July 13, 2003
ブックカバー
本屋で本を買うときは、本の内容や大きさに関係なく必ずブックカバーをつけてもらう。
ある本屋さんは何色ものブックカバーを用意していて、「何色にしますか」なんて
聞いてくれたりもする。
電車の中や人前で本を広げるときに、「ほーら、僕はこんな本を読んでいるんだぞ」とひけらかすつもりもないし、かといって人前で広げられないタイトルの本を読むわけでもない。表紙の保護(ブックオフに売りに行くときの高値確保)が目的なわけだ。
けっこう利用する書店で、一つだけブックカバーをつけてくれない書店がある。言わずとしれた、amazonだ。買った本を送ってくるときは仰々しい過剰包装に近い段ボールを使って、当然箱にはamazonのロゴがプリントされている。頼んだ本と一緒にブックカバーぐらい同封してくれてもいいのに。カバーぐらい自分でつけるから、ただ同封しれくれればいい。
きっと、日本中ですごく多くの人が同じことを考えていると思う。amazonジャパンの人だって思いついているに違いない。広告効果も見込めるし、それほど費用がかさむとも思えない。十分にメリットがあると思うんだけど、なんでamazonのロゴが入ったブックカバーは存在しないのか。
海外の書店で本を買うとき、「ブックカバーをつけるか」なんて聞かれたことはない。「しおりはいるか」と聞かれることはある。グローバル展開している企業はブランド管理の名の下に全世界共通のオペレーションを好むので、amazon本社のあるUSで本に紙製のブックカバーをつける習慣がない以上、日本だけでブックカバーが提供されることはなさそうだ。「日本ではブックカバーが必要だ」と仮にamazonジャパンの人が本社にかけあったところで、返事はnoなんだろうな。
amazonで本を買うたびに、読み終わった本から外したブックカバーをつけかえている。こうしてamazonで買った本は、周りからはまるで紀伊國屋書店で買われたかのように見えてしまうわけだ。
ある本屋さんは何色ものブックカバーを用意していて、「何色にしますか」なんて
聞いてくれたりもする。
電車の中や人前で本を広げるときに、「ほーら、僕はこんな本を読んでいるんだぞ」とひけらかすつもりもないし、かといって人前で広げられないタイトルの本を読むわけでもない。表紙の保護(ブックオフに売りに行くときの高値確保)が目的なわけだ。
けっこう利用する書店で、一つだけブックカバーをつけてくれない書店がある。言わずとしれた、amazonだ。買った本を送ってくるときは仰々しい過剰包装に近い段ボールを使って、当然箱にはamazonのロゴがプリントされている。頼んだ本と一緒にブックカバーぐらい同封してくれてもいいのに。カバーぐらい自分でつけるから、ただ同封しれくれればいい。
きっと、日本中ですごく多くの人が同じことを考えていると思う。amazonジャパンの人だって思いついているに違いない。広告効果も見込めるし、それほど費用がかさむとも思えない。十分にメリットがあると思うんだけど、なんでamazonのロゴが入ったブックカバーは存在しないのか。
海外の書店で本を買うとき、「ブックカバーをつけるか」なんて聞かれたことはない。「しおりはいるか」と聞かれることはある。グローバル展開している企業はブランド管理の名の下に全世界共通のオペレーションを好むので、amazon本社のあるUSで本に紙製のブックカバーをつける習慣がない以上、日本だけでブックカバーが提供されることはなさそうだ。「日本ではブックカバーが必要だ」と仮にamazonジャパンの人が本社にかけあったところで、返事はnoなんだろうな。
amazonで本を買うたびに、読み終わった本から外したブックカバーをつけかえている。こうしてamazonで買った本は、周りからはまるで紀伊國屋書店で買われたかのように見えてしまうわけだ。
Friday, July 04, 2003
映画
最近いわゆるハリウッド系ビッグネーム映画の公開が相次いでいる。
ほとんどが前作の続編でハリウッドの台本不足を示しているように思える。
エンターテイメント業界の知人によると、この台本不足はかなり深刻らしい。
日本のアニメや昔の名作、ミュージカルをリメイクして実写版にする動きが多いのも頷ける。ただ、最近の映画には、台本不足云々の前にそもそも中身がないように思える。特に特撮系ハリウッド映画。
つっこまれる前に書いておくと、僕は結構、映画がすき。それもいわゆるロードショー公開される大衆娯楽映画はほとんで観ていると思う。しかも、先行レイトショーで一足早く見る場合がほとんど。少しでも早く見たいのだ。決して、「映画はゴダールだよね。小津も良い味だけど」などとのたまうわけではなく、ひたすら娯楽派。今日も、来週公開の映画を先行レイトショーで見てきました。
最近の映画って、中身がない、何を伝えたいのかがなくなっている気がするのだけど、そう思うには理由がある。一応映画のテーマはあるんだけど、そのテーマで何かを語るのではなく、徹底的にそのテーマを写す。で、「サメの映画って言えば..」、「宇宙人の映画って...」、「隕石がぶつかるのもあったね」、「あと、ほら、カンフーやって銃の弾よけちゃう...」ってな表現でしか映画の感想や特徴を伝えられなくなってる。これが加速すると、どんどん被写体が消費されて、台本不足というか、見せるものがなくなっちゃうんだろうね、きっと。弾をよけちゃう映画の続編なんてひどかったもんなぁ。女の子(天使?)3人組のはどうだろうな。これはまだ観てない。
ところが、である。今日見てきたのは、ネタバレになるので詳しくは書かないけど、未来からサイボーグが来る映画。確かに映画の始まりからアクション、カーチェイス、VFX全開だし、娯楽映画の定番なんだけど、ちゃんと伝えたいことがあるんだよね。見終わった後、すごく良い印象が残った。見終わって、「あ、この映画はこんなことを観客に伝えたいんだ」ってのが残ることをすごく久しぶりに感じた気がする。良い映画だった。
ほとんどが前作の続編でハリウッドの台本不足を示しているように思える。
エンターテイメント業界の知人によると、この台本不足はかなり深刻らしい。
日本のアニメや昔の名作、ミュージカルをリメイクして実写版にする動きが多いのも頷ける。ただ、最近の映画には、台本不足云々の前にそもそも中身がないように思える。特に特撮系ハリウッド映画。
つっこまれる前に書いておくと、僕は結構、映画がすき。それもいわゆるロードショー公開される大衆娯楽映画はほとんで観ていると思う。しかも、先行レイトショーで一足早く見る場合がほとんど。少しでも早く見たいのだ。決して、「映画はゴダールだよね。小津も良い味だけど」などとのたまうわけではなく、ひたすら娯楽派。今日も、来週公開の映画を先行レイトショーで見てきました。
最近の映画って、中身がない、何を伝えたいのかがなくなっている気がするのだけど、そう思うには理由がある。一応映画のテーマはあるんだけど、そのテーマで何かを語るのではなく、徹底的にそのテーマを写す。で、「サメの映画って言えば..」、「宇宙人の映画って...」、「隕石がぶつかるのもあったね」、「あと、ほら、カンフーやって銃の弾よけちゃう...」ってな表現でしか映画の感想や特徴を伝えられなくなってる。これが加速すると、どんどん被写体が消費されて、台本不足というか、見せるものがなくなっちゃうんだろうね、きっと。弾をよけちゃう映画の続編なんてひどかったもんなぁ。女の子(天使?)3人組のはどうだろうな。これはまだ観てない。
ところが、である。今日見てきたのは、ネタバレになるので詳しくは書かないけど、未来からサイボーグが来る映画。確かに映画の始まりからアクション、カーチェイス、VFX全開だし、娯楽映画の定番なんだけど、ちゃんと伝えたいことがあるんだよね。見終わった後、すごく良い印象が残った。見終わって、「あ、この映画はこんなことを観客に伝えたいんだ」ってのが残ることをすごく久しぶりに感じた気がする。良い映画だった。
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