Friday, June 13, 2003

カラー印刷

カラー印刷があまり好きではない。個人で作る年賀状だとか名刺だとか
CD-ROMに貼るラベルとか、そういった類の物はカラー印刷をするけど、
仕事で使う資料はめったにカラー印刷はしない。グレースケールでの印刷を心がけている。

もちろん、パソコンの画面表示はカラーだし、スライドのマスターや会社のロゴとか、作っている文書の至る所にカラーの部分はあるけど、極力色を使わずに、レイアウト、図の形、線の種類、網掛けを工夫して文書を書くようにしている。
色分けしてある方が確かに明示的だし視覚的に理解しやすいことはわかるけど、どうも色遣いの下手な人に限って色を多用している気がしてならない。そういう人が作った資料がカラー印刷で持ってこられて、「レビューして」と言われても見る気にもならない。

色が持つイメージって人によって異なる。赤を強調のつもりで使っても、仕事の上では良くないこと(前年割れ、注意事項とか)と思われがちだし、何かしらの意図で青や黄色や緑で行なりセルを塗りつぶすと、それが強調しているのか、あるいは打ち消しているのかもわからなかったりする。しかもパソコンで使用したり選べる色は原色系が多くてこれまた下品きわまりない。

ロゴやタイトルがカラーなのは理解できる。けど、意味のない図にやたらと色を付けたりするのは控えて欲しい。プレゼンテーション用ソフトウェアで提案書や報告書を書くことは多いけど、絵日記かと思うような仕上がりのものを良く目にする。セミナーや講演で使うスライドはカラーの方が視覚的インパクトがあるけど、日常的に使う文書はモノクロで良いと思う。
「文字が見えにくいのでカラーで印刷しました」こんな台詞にすごく違和感を感じる。見えやすい色を使うとか、図の形、線の種類、いくらでも工夫できるはずなのに。

2003 6/13

Saturday, May 03, 2003

もったいない

ANAが長嶋茂雄を使ったCFを流し始めた。JALが松井を使って
いることへのあからさまな対抗なんだろうけど、野球関係者と
飛行機の組み合わせに違和感を感じるのは僕だけだろうか。
なによりも、キムタクが引き上げたANAのイメージを、自ら
長嶋茂雄の起用で落としてしまうANAのセンスにがっかり。

Saturday, April 26, 2003

数値目標

スポーツジムに久々に行った。法人会員で契約しているジムが
一回500円で使えるし隣の駅にあるので通うことにした。

学生のころとか、社会人成り立ての頃はよく通っていたし、去年まで
通っていた大学院にはスポーツジムがあって、無料で使えたから
それなりに運動はしていた。

この間、健康診断があったんだけど、体重が最高記録を更新して
しまった。自覚がなかったわけではない。見て見ぬふりと言われ
ればそれまでだ。しかしやばすぎる。そんな思いで、まさに藁を
もつかむ思い出入会したわけだ。

何年か前は持ち上げられた重量が持ち上げられないとか、腹筋の
回数が減ったとか、明らかな退職の衰えを実感し、ランニングで
は不自然な肉の揺れを感じ、現実を直視せざるを得なかったけれ
ど、運動というものはこうも気持ちの良いものかと感じた。思い
起こせば、去年の9月に社会復帰してから体を動かしていなかった
なぁ。まったく余裕のない生活を送っていたと実感。そりゃぁ、
体重も増えるし、神経も弱るよなぁ。

何ヶ月後までに何キロ落とそうかな。

Tuesday, January 07, 2003

座右の銘

このサイトを開いてすぐのころ、座右の銘についてこのコーナーで
書いたことがある。実はこのHP、Tーバーが一度クラッシュして、
2001年10/31に復旧した経緯がある。たしか、98年末ごろにオリジ
ナルははじめたと思う。

で、なかなか座右の銘ってのは思い当たらないと書いたと思うん
だけど、ようやく見つかったというか、決めたというか、思いあ
たりました。

Slow but steady wins the race.

これでしょう。過度に熱くならず、常に平常心、そう生きたいも
のだ。

Sunday, January 05, 2003

大人になったら何になろう

最近、北朝鮮の核疑惑のニュースとか、航空会社の倒産や合併とか、
コンサルティング会社の消滅や合併とか、どうも他人事とは思えな
い出来事が多い。いかに多くの可能性のうちのたった一つが実現し
ていることか、身にしみる。

というのも、22歳の頃、学部の4年生で就職活動をしていた頃、ある
航空会社から整備士としての内定をもらっていた。学部では機械工学
と品質管理を専攻していた。世が世なら今頃はジャンボジェットの整
備をやっていたかもしれない。
けど、その年の夏に思いつきに近い感覚で大学院を受けたら合格して、
その道は自ら捨ててしまった。しかも大学院での専攻は原子核物理、
わかりやすくいえば原子力を選んだ。選んだ理由は長いので省略する
けど、そのまま原子核物理の方面の仕事を選んでいたら、IAEAあたり
で核査察官をやっていたかもしれない。実際、原子力関連の国際機関
に興味はあったから。
ところが、である。何を血迷ったか社会人としてのスタートを経営コ
ンサルティングなどという得体の知れない胡散臭い業界で切ることに
なった。5年間つとめた後、休職してまた大学に通い直したけれど、
休職していた2000年から2002年はまさにあの業界の再編期だった。良
くも悪くも、その荒波に無関係にすごしていた。

いやはや、どの道を選んでもそれなりに波乱に満ちたものだったよう
だ、今になって考えてみると。実際に起きている現実がどうかという
と、ノラリクラリと順調なのかノンポリなのかわからない道を歩いて
いる。

大人になったら何をやろう。自分の好き勝手で舵を切れるのはもうそ
ろそろ終わりかもしれないしなぁ。

Saturday, January 04, 2003

肩書き

会社の名刺だけでなく、私用の名刺も作っています。家のPCで作る
簡単なものだけど、仕事以外で知り合った人との自己紹介用なので
十分に用は足ります。

名前、メールアドレス、携帯、HPを書くだけだけど、いつも悩むの
が肩書きというか、「僕は○○」ですと書き添えたいのに適当な単
語が見つからないこと。趣味に凝っている人であれば、写真家、デ
ザイナー、云々と書けるのだろうけど、そんなものも持ち合わせて
いないのでいつも迷う。
別になきゃいけないものではないので、気にすることもないんだけ
ど、自分が何かと一言で言い表せないことにある種の欠落感を感じ
るわけだ。

仕事とか、学生の頃の専攻とか、列挙してみると幅は広いけれど、
筋というか横グシがないように思えて、そろそろ軸足をしっかりと
置きたいなと感じていることの裏返しなのかもしれない。
いつかしっくりくる肩書きが見つかるといいけど。

Friday, January 03, 2003

新年の挨拶

1/2の夜、中学の同級会が開かれました。すごく久しぶりのこと。
学生の頃に東京に出てきていて友達とも10年ぶり、卒業以来会っ
ていないメンバーとは実に18年ぶりでした。15人弱の参加だった
かな。

場所は長野市だったんだけど、夕方に着いたとき、寒く感じたな。
顔とか耳が痛くなる感覚が何年かぶりによみがえってきた。
不思議なもので、中学以来会っていない友達とも、何のC兼ねも
遠慮もなく会話が弾む。食べきれないほどの料理とお酒、つきな
い会話、楽しかった。みんな、良い顔つきになってたね。大人に
なったね。
深夜の善光寺参りもなかなか風情があって縁起物っぽい雰囲気だ
った。お参りにまでつきあってくれたK君、Iさん、Sさん、どうも
ありがとう。

今朝、長野を出て東京に向かったわけだけど、天気が良かったの
で、志賀高原とか飯綱、戸隠、遠くに日本アルプスの山々が見え
た。雪景色と山の姿が妙に記憶に残っていて、「これこそ長野」
って感覚を強烈に感じた。あそこといえばこんな風景と思い浮か
ぶ街というのは良いものだと思う。東京なんて、ちょっと広い土
地があると無計画にマンションやらビルを建てるばかりで、東京
のイメージがどんどん変わっていくだけだからね。何も定着しな
くなってきているからねぇ。
そんなことを考えながら帰ってきてみると、東京は雪が降ってい
て、うっすらと積もっていた。しかも寒いし。なんだかなぁ。

さて、お気に入りのFM局J-WAVEを聞きながら愛車ルノー・サンク
でスターバックスにでも行くか。いつものダブルトールモカを飲
みつつ読みかけの文庫本を読みきってしまおうか。夕飯はどうし
ようかな。適当に食材はあるから作っても良いし、近所の良く行
くカフェでフィッシュ・アンド・チップスにシーザーズ・サラダ
ってのも良いな。こうしていつもの日々が、また始まるのだ。

友人、知人、親類、家族、そして新年早々再会できた旧友の皆、
今年も心底よろしく。
実りある人生の一助に、お互いに。