Wednesday, March 21, 2007

ゆとり教育と段取り

日経BP社のwebサイトで連載中の「立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」の第101回、2007年3月16日のエントリーにて、日本人の知力崩壊について書かれていた。
ふむふむと納得できることが書かれていて、とりわけ、「今年から、大学には、「ゆとり教育100%」つまり、学校に入ってから全過程ゆとり教育でやってきましたという連中が入ってくるようになって、大学の先生方をとまどわせている。」、そして「彼らが大学を出て一般社会に出ていくのはあと4年後のことになる。」との記述にゾッとした。

このブログ、2002年4/27のエントリで「今年の新入社員にご用心」http://seiron.blogspot.com/2002/04/blog-post.htmlと書いた。携帯電話世代は電話の応対すらろくにできないかもと書いたのだが、今回の立花氏の記述が持つインパクトはその比ではない。ゆとり教育でまっさきに削減された科目は理数系の科目だった。理数系の科目を選考することは、なにも量子物理学や高等抽象数学の研究者を育成することにはつながらない。「複雑そうに見えるものごとを細かく分解して、単純なものの集合体として理解する」ための頭の使い方が理数系科目の履修で身につく。これは僕自身の経験上確かだと思う。
構造化、クリティカル・ロジカルシンキングといった言葉が飛び交う業界、たとえばコンサルティング、証券会社のエコノミスト、法曹界で理科系バックグラウンドを持つものが活躍している背景には、こういった理由がある。構造化とか書くと堅苦しいが、要は「手戻りをなくす段取り上手」になるための頭の使い方のことだ。

そう考えると、数年後には段取りが苦手で、何度も手直しや手戻りを発生させてしまう「不器用な人々」が新入社員としてやってくるのだろうか。高倉健よろしく「不器用ですから」ですむ問題ではなさそうだ。

そのとき、僕はいったいどうなるだろう。細かく口うるさい、型にはまった仕事の進め方しかしない、段取上手ではなく社内政治家、いかにも管理職だよね、などと揶揄されるのだろうか。あるいはその時の風潮にあわせて「場面でよくね?」といった場当たり的な人間になるのだろうか。

そんな数年後は、数年後に必ずやってくる。

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